故市川準が、「最近のシナリオやキャラクター造形がマンガ寄りになっている」
と嘆いていたのを僕は直接聞いたことがあり、
どういう意味なのかよくわからなかったんだよね。
マンガっぽい/マンガっぽくないの境目はなんなんだろう、
どっちも創作的だからシームレスなんじゃないか、
なんて思っていたことを思い出す。
最近わかるのは、
つまり「現実だとこうだろうな」とツッコミが入るか入らないか、
で決まるような気がする。
トントン拍子で成功するご都合主義はマンガ的だ。
ほんとにいそうにないキャラクター造形もマンガ的だ。
実写だけどランボーはマンガ的だ。
ヒーローは大抵マンガ的だ。
現実にいなさそうなものを創作として楽しむのだから、
マンガ的になるのは当然だろう。
ただ、それを空想のものに終わらせないために、
「それが現実にある/いるとしたら」を、
徹底して考えておくべきだね。
ドラマ風魔では、
小次郎たちはマンガ的だけど、
この世界の流行を知ってたり、アイスの棒を立てたり、
コンビニの釣り銭を持ってたり、ケータイで話したり、
暴力事件は警察に相談した方がと言われたり、
渋谷スクランブル交差点に立ってたりする。
ただマンガ的な事象を追うのではなく、
今ここにある現実世界との境目、接点を描くことで、
「この世界と地続きである」ことを描くのだ。
創作は空想である。
その空想は、現実から遠いほど面白くなる。
だけどあからさまな空想は、「絵じゃん」と冷められる、
ということである。
せっかく実写でやってるんだから、
この世界と地続きであるようにして、
一見マンガ的だが、現実なんだぞ、
という感覚をつくることが、
実写の面白さなんだぞ、
と市川準は考えていたように思う。
それが足りなくて、マンガ的なものがマンガ的に浮いてしまってることが、
最近のシナリオは、という嘆きだったんだと思う。
準さんは写実派だったしね。
ドローンというラジコンで、
無人機爆撃をして人を殺すなんて、
いかにもマンガ的だよね。
でもヘリの音で気づくことが出来たり、
鷹に襲われることがあったり、
バッテリーは長時間持たなかったり、
ジャミングが効いたり、
(軍事用は違うだろうが、民生機のドローンはWiFi電波だそうな)
完全に遠くじゃなくて現場の近目に操縦者のいる車が必要らしい。
こうした、マンガ的なことと現実の間にあるようなディテールを詰めていくことで、
「どうもこれは現実と地続きで、
このことはほんとらしい」
が、我々の間に認識として出来てくる。
ドローン操縦者の家を特定して、
任務完了後帰宅の際に暗殺部隊が殺す、
という現実のスパイ合戦は、マンガを超えたマンガだと思ったな。
ドローンのカメラから撮影された人殺しの場面は、
なんともいえないリアリティがある。
大抵荒れた画像で、まともに撮れていない感じが、
ドローンのリアリティという、新しいジャンルになっていると思う。
あなたは、
その「新しいリアリティの感覚」を、
創作しなければならない。
ただマンガ的で現実味がないまま放置するのは、
ただの三流だ。
リアルとマンガの境目をシームレスに埋め、
それが本当にあるように錯覚させて、
やっと二流。
一流は、
それがひとつのイコンになるような、
「新しい唯一の独特の感覚」を、
つくりあげる。
市川準さんが言ってたのは、
三流シナリオのまま放置してんじゃねえよ、
ってことだったような気がするんだよね。
四流は、現実に則しすぎてて、
リアリティはあるが夢がないシナリオかもね。
2022年04月01日
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