2022年03月28日

【薙刀式】拗音を重視しすぎていない理由

「ょう」は二文字連接で最多頻出である。
ダントツでひとつだけ多く、
100万字統計の中で「た。」とかが4000台なのに、
ひとつだけ12000とか行くんだよね。

そのダントツの「ょう」を、
薙刀式ではILという、
アルペジオではあるが重要なアルペジオには置いていない理由。


ちなみに新下駄では、
拗音シフトIOからのJに「ょう」が置かれている。
最強アルペジオであるIJ、OJなわけだ。

これは最も統計的に出るものから、
順にいい運指に当てる、
新下駄の統計的設計方針の、
第一手であると言える。

なるほどその設計思想は明快で、
合理的であるように見える。

だけど薙刀式はそうしていない。
最頻出をILという微妙なところに置いている。
なぜか。

意味の重視だ。

日本語において、
拗音は主流ではなく傍流と考えたためだ。


拗音が出てくるのは、
漢字熟語が多いと考えられる。

たしかに漢字熟語は多彩で日本語の骨格のひとつをなすが、
主流ではないと考えた。

主流になる言葉とは、
主語になる言葉や、述語になる言葉や、
その主格を示すつなぎの言葉(主に主格の助詞)や、
意味を確定する動詞の語尾や助動詞であると考えたのだ。

それからすれば、
拗音は傍流であると。


だから、薙刀式での、
JI、MK、RE、VDなどの中心になるアルペジオでは、
ある、ない、して、ことなどの、
日本語で中心になると考えられる言葉が置かれているのだ。

統計的なことも勿論重要だけど、
日本語を書くことは意味を紡ぐことであり、
統計的出現率に従ってマルコフ連鎖を出力することではない。
僕はそのように考えて、薙刀式をつくった。

勿論、全ての意味を紡ぐ行為が、
うまく合理化されている保証はない。
統計的順にいい運指を付与していく合理性には、
運指合理性は劣っている可能性が高い。

でも、
「言葉を書く」ことはどういうことか、
という感覚に基づいて、
薙刀式の配字方針があるんだよね。

書くことへの直感みたいなのを大事にした感じ。



もちろん、
だから、薙刀式は最速配列ではないだろう。
新下駄に何歩も劣る可能性がある。
だけど、
「自分の言葉を書く心地よさ」は、
担保されている気がするんだよね。

自分の言葉を書く時に、「ょう」が一番書きやすくても、
あんまり意味がない、という考え方をしているわけだ。


なので、
薙刀式では、拗音同置という画期的な方式でありながら、
ょう、ゅう、ゃく、ょく、ゅく、ゅつ、あたりの、
拗音の運指は、
IL、PL、HH、IH、PH、P【;】
あたりの、打ちやすい右手アルペジオではあるが、
そこまで優遇されたアルペジオにはなかったりする。
IJ(OJ)、IH(OH)、IB(OB)などにまとめられた、
新下駄と対照的だと思う。
posted by おおおかとしひこ at 14:01| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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