「ょう」は二文字連接で最多頻出である。
ダントツでひとつだけ多く、
100万字統計の中で「た。」とかが4000台なのに、
ひとつだけ12000とか行くんだよね。
そのダントツの「ょう」を、
薙刀式ではILという、
アルペジオではあるが重要なアルペジオには置いていない理由。
ちなみに新下駄では、
拗音シフトIOからのJに「ょう」が置かれている。
最強アルペジオであるIJ、OJなわけだ。
これは最も統計的に出るものから、
順にいい運指に当てる、
新下駄の統計的設計方針の、
第一手であると言える。
なるほどその設計思想は明快で、
合理的であるように見える。
だけど薙刀式はそうしていない。
最頻出をILという微妙なところに置いている。
なぜか。
意味の重視だ。
日本語において、
拗音は主流ではなく傍流と考えたためだ。
拗音が出てくるのは、
漢字熟語が多いと考えられる。
たしかに漢字熟語は多彩で日本語の骨格のひとつをなすが、
主流ではないと考えた。
主流になる言葉とは、
主語になる言葉や、述語になる言葉や、
その主格を示すつなぎの言葉(主に主格の助詞)や、
意味を確定する動詞の語尾や助動詞であると考えたのだ。
それからすれば、
拗音は傍流であると。
だから、薙刀式での、
JI、MK、RE、VDなどの中心になるアルペジオでは、
ある、ない、して、ことなどの、
日本語で中心になると考えられる言葉が置かれているのだ。
統計的なことも勿論重要だけど、
日本語を書くことは意味を紡ぐことであり、
統計的出現率に従ってマルコフ連鎖を出力することではない。
僕はそのように考えて、薙刀式をつくった。
勿論、全ての意味を紡ぐ行為が、
うまく合理化されている保証はない。
統計的順にいい運指を付与していく合理性には、
運指合理性は劣っている可能性が高い。
でも、
「言葉を書く」ことはどういうことか、
という感覚に基づいて、
薙刀式の配字方針があるんだよね。
書くことへの直感みたいなのを大事にした感じ。
もちろん、
だから、薙刀式は最速配列ではないだろう。
新下駄に何歩も劣る可能性がある。
だけど、
「自分の言葉を書く心地よさ」は、
担保されている気がするんだよね。
自分の言葉を書く時に、「ょう」が一番書きやすくても、
あんまり意味がない、という考え方をしているわけだ。
なので、
薙刀式では、拗音同置という画期的な方式でありながら、
ょう、ゅう、ゃく、ょく、ゅく、ゅつ、あたりの、
拗音の運指は、
IL、PL、HH、IH、PH、P【;】
あたりの、打ちやすい右手アルペジオではあるが、
そこまで優遇されたアルペジオにはなかったりする。
IJ(OJ)、IH(OH)、IB(OB)などにまとめられた、
新下駄と対照的だと思う。
2022年03月28日
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