リライトで構造的に考えていても、
それぞれの登場人物について、
正しくリライトできるとは限らない。
ストーリー構造が縦糸だとしたら、
横糸はそれぞれのキャラクターのプロットラインである。
どういうことかというと、
「そのキャラクターを主人公だとして、
その人物から見たストーリーを書きおろしてみる」
とよい。
その人物はどこからきて、
どういう行動をとるのか、
頭から尻まで書いてみるのだ。
このとき、
ここでいまいちだなとか、
ここでもっと活躍したほうがいいなとか、
ここで引っ込んでるな、とか、ここで出すぎだな、とか、
細かく見ていくのである。
できれば、
各登場人物について、活躍の場をつくってあげるといいかもね。
「ただ出てきただけ」じゃなくて、
「実はストーリーの解決に寄与している」
ってわかると、なんかうれしくなるじゃない。
(もちろん悪役側なら、
「人知れず主人公の妨害に成功している」とかだな)
リライトするときに、
全体の構造や段取りをリライトすることはあっても、
なかなかこうした各登場人物から見たリライトをすることはないかも知れない。
全体で直せば、
部分も大体直るだろう、という期待でうごいているような気がする。
しかし、こうした登場人物に関するラインをつぶさに観察していると、
ここでこいつは生きていないとか、
部分から全体を見ることができるのだ。
主人公に関したそれがメインプロットになるのは当然だから、
これはサブプロットを整理してリライトしよう、
ということに他ならない。
とくにリライトを重ねていくと、
サブ人物のサブプロットが途切れる傾向にある。
あれはどうなったんだっけ、
という細かいことが失われて、なかったことになっていることがある。
それは全体から見たらたいしたことがないから切られたのだが、
実はその細かいことが全体のプロットに関係していたのだ、
という風に接続していくと、
なるほど、このラインはそういう意味があったのか、
と部分を生かすことができると思うんだよね。
今書いている話では、
Bキャラクターが途中退場してしまい、
Aキャラクターの陰に入ってしまう場面があった。
そのときBは何をしていたのか、よくわからなくなってしまっている。
だからBに、
「このあと大逆転をもたらす手がかりを発見する」役割を与えて、
Aに電話する、という場面に書き換えると、
全体がうまく行き、なおかつAもBも生き生きした流れになることに気づいた。
主人公Aばかりに注目していると、
こうした可能性を見逃す。
もちろん、これはC、D、E……と、
全登場人物について考えたほうがよい。
そうすると、全体の流れとは別次元の、
個人的な流れがある、
ということに気づくと思う。
そこをもっと面白く書き直して、
全体の面白さに接続するように書き直せれば、
さらにタイトな脚本になると思うよ。
(ただ活躍を増やすだけじゃだめだ。
全体にとって意味がある部分にしていくのだ)
もちろん、だらだらと増やしてもダメだし、
減らしすぎてもダメだ。
その分量は、全体とのバランスできまる。
登場人物に関するプロットラインを、
別々に書いてみよう。
n人の登場人物ならば、n本のラインだ。
それぞれが面白くて、
それらを編み上げた全体も面白くなって、
やっと面白い脚本といえるのではないかな。
2022年04月23日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック

