文章を読む時、書く時、脳内発声があるかないか、
なんて話をするけど、
もう少し大きな枠組みで、認知特性というらしい。
わかりやすいのがあったので。
https://mobile.twitter.com/shishamo_lab/status/1517473753428480001
ツリーに自分の診断できるページがリンクされてるので、
診断してみるとおもしろいよ。
僕は案の定視覚優位で、
聴覚や言語が弱かった。
まあ、せやろな、って感じ。
で、興味深いことに気づいたのだが、
診断ページでの、
「自分の選ばなかった選択肢」に注目するといいよ、
というのが本題だ。
自分はそうじゃない、と選ばなかった選択肢を選び、
デフォでこうだろ、と自分が選んだ選択肢を選ばない人もいる、
ということに、
気づけるかどうかなんだよな。
ええーそんなことできない人いるの?から、
そんなことできる人いるの?まで、
様々な驚きに満ちた選択肢だと思うんだよ。
多様性とか言ってるけど、
まだ「私を認めて」の段階でしかなくて、
「全く自分の能力と異なる人がいることに、
我慢ならないのか/普通だと思えるか」
には到達していないと思う。
いわんや配列の多様性においておや、だ。
「当然この感覚が優先やろ」と思うことが、
他の人には違う可能性があるわけだ。
じゃあ玉虫色の判断基準にすればいいかというと、
それはまた違う。
それは、誰にとっても一部使いやすくて、
誰にとってもほとんどが使いにくい道具になってしまう。
そうではなくて、
ひとつの感覚基準で統一されて作られた、使いやすいものが、
多種多様あるべきだと僕は思う。
そして、どのような感覚が世の中にあるかがわかってて、
自分の感覚と合うものを探しやすくなってるのが理想だと思うわけだ。
それでもqwertyが合う人は、頭のおかしい変態だと思う。
日本語の構造と合ってないしさ。
いや、存在してても構わないけどね。
2022年05月01日
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