薙刀式はカーソルキーを30範囲の中に取り込んでいる。
じゃあ画像編集や表計算でも使うかというとそうでもなくて、
そういうときは十字型の従来のカーソルキーを使うっぽい。
つまり、
明確に「十字移動」と認識しているときは、
十字型の、単押しカーソルキーが使いやすいようだ。
当たり前か。
薙刀式でもカタナ式のように、
中央に十字カーソルを置きたかったのだが、
カナの多さのため断念したのは何度か書いている。
なので、
行移動や選択の横カーソル(縦書きの場合)、
文字移動や選択(再変換用)、
文節移動や文節伸縮の縦カーソル(同)は、
横と縦で役割が異なる、
と考えればうまくいくと思ったのだ。
そしてそれは機能していて、
「日本語の文書編集には、
十字カーソルはマストではない」
と僕は言い切ることができる。
横と縦で役割が異なるのだから、
横と縦は対称でなくてよいと。
ところが、
画像編集、プログラミング、表計算などでの、
十字カーソルは、
縦と横はほぼ対称の役割をはたす。
だから、十字カーソルを使った方が、
分かりやすくて使いやすい、と僕は考えている。
そもそも、
日本語入力操作に、
カーソルキーを使ったのが間違いだったのだ。
文節移動キーや選択キーを別に新設していれば、
カーソルと分けられたに違いない。
本来はそれが無変換や再変換キーの役割だったのだろうが、
Mac方式のほうが分かりやすかったため、
駆逐されたのだろう。
説明を要するのは道具ではない。
日本刀は人を殺す形をしているべきで、
Macの、
「スペースで変換、候補選択、
カーソルで移動、候補選択、文節移動、
シフトカーソルで選択、文節伸縮」
というのが、
「日本語を入力する形」をしていたと考えられる。
問題は、
それがホームポジションから遠く、
動線の設計がよくなかったことである。
だから、
その後Macでは、
emacsバインドをctrlを押しながらで導入したが、
エンジニア以外には普及はしなかった。
普通の人には使いにくいし、
人を殺す形をしてないからね。
日本刀は握れば大体振り方がわかるし、
一太刀で人を殺せる。
(玄人はのぞく)
Macの日本語入力システムが、
日本語を入力する形だったので、
この方式が普及したのだと思われる。
説明も短くて済むし。
だから僕は無変換や変換を駆使する、
98あたりからつづく入力方式を知りたいんだけど、
それを体系的に解説したものがなくて、
とても困っている。
それを知ることで、
僕はMacを超える、合理的でシンプルな体系を、
再発明したいので。
ということで、
僕はQMKやDvorakJのソースをいじるときや、
フォトショやイラレを使う時は、
ふつうにあの遠いカーソルキーを使っている。
ホームポジションからの移動コストは、
そもそもホームポジションから全操作ができないため、
折り込み済みとしかいいようがない。
文字入力だけが、
薙刀式のシステムで、
31キーで不動のまま仕事ができるシステムになっている。
そこは使い分けなのかもしれない。
薙刀式の範囲内でフォトショが使えれば、
僕はデフォのカーソルを使わなくなるだろうか。
いや、でも縦と横の対称性があるカーソルを作り直すかなあ。
結局、
「ホームポジションのまま仕事をする」
という思想が、
現在の109キーボードにはないわけだ。
そりゃ生産性おちるわな。
アナログ時代の「仕事ができる人の机」は、
ホームポジションのまますべてに手が届くようになってたぞ。
ノールックで書類を出したりしまったり、
道具を出したりしまったりしてたよね?
書斎や仕事場というのはそうあるべきで、
デジタルがそうなってないのが問題なのだ。
デジタルは仕事ができない人の底上げをしたかもしれないが、
仕事ができる人をスポイルしてしまった。
だから現在仕事ができる人は、
PCをなるべく使わないような流れになってるんじゃない?
カーソルキーは、
その機能にしては動線が遠すぎる。
人差し指伸ばしキーさえなければ、
その位置にあるべき重要度ではないかなあ。
自作キーボードでもカーソルキーは常に問題になる。
カーソルキーだけのBTマクロパッドも出るくらい、
みんなカーソルの同定に困っている。
(トラックボールも定位置がまだ決まってないし)
2022年05月08日
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