2022年05月21日

リライトは奇数稿がいい説

第一稿を直した第二稿は、
なんだかいいけど、なんだかよくないことが多い。
なんでやろ。


いくつかは、行き過ぎたものになっているから、
というのが僕の説だ。

あるものを0に収束させたいときに、
第一稿では10になってしまった、
第二稿では逆に-10になってしまった、
みたいなことだ。
だから、
第三稿では、5とか、3とか、1あたりに収束しやすい。

バックオーライ、オーライ、だと、
10から徐々に0に進む感じだけど、
右右右、左、行き過ぎた、右に戻り、
また行き過ぎた、ちょっとだけ左、
なんて、0の目標点に向かって、
両方にシーソーのように向かうイメージをするとよいだろう。

だから、
第二稿は行き過ぎる。
それを第三稿で戻すと、
ちょうどいい塩梅になる、
というのが僕の説だ。

芝居でも似たようなことがあって、
テイク1がいまいちで指示を出したら、
やりすぎなテイク2が上がって来ることがある。
それを戻してテイク3でOK、
みたいなことはとてもよくあるね。

で、敏感すぎて、大きく変えてしまったら、
そのテイク2や3はなかったことにして、
一回テイク1に戻って、
そこからいじり直すことは、わりとよくある。

リセットした感覚からやることは、リフレッシュに大事だからね。


なので、似たようなことが、
リライトでもあるよ、
というのが僕の経験則かな。

そのときに、偶数テイクでよいということはあまりなくて、
奇数テイクのほうが大体いいんだよね。
それは、行き過ぎが偶数、戻したのが奇数、
というような関係があるからではないかと思うわけだ。

他にも偶数テイクで捨てたが、やっぱり奇数テイクで拾うとか、そういう感じ。


偶数稿はだから冒険で、
奇数稿はそれに対する批判である。

それらを繰り返して、
リライトは収束に向かうのではないだろうか。
posted by おおおかとしひこ at 00:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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