Aで何かあり、Bで何かあり、
またAに戻ってくるのは、「行って来い」と言われて、
あまりよくない形だとされる。
しかしこれで展開を作ることもできる。
行って来いと展開はどう違うのだろう。
Aで起こったことをX、
Bで起こったことをYとしよう。
再びAに戻ってきて、
またXをしてしまうと、「行って来い」になる。
あるいは、Yと関係ないZでも、
「行って来い」の感覚に近いと思う。
ところが、XまたはYまたは両方に関する何か、Pが行われると、
行って来いではなくなる。
それが展開である。
同じ場所に戻ってくるのは、
行って来いの感覚、
つまり「進んでいない」という感覚を呼び起こす。
逆にいうと、
「進んでいる」という感覚とは、
「どんどん場所が変わっていく」
「どんどん新しい要素が出てくる」という感覚である。
だから同じ場所に戻ってきたり、
同じことをやると、「行って来い」になるから、
やめとけ、という経験則ができたのだと考えられる。
ところが、
別に同じ場所に戻ったとしても、
展開が新しくなれば展開である。
ただ、新しい要素を出すだけでは展開にならず、
同じ場所に戻ったマイナスを覆す、
もっと展開した感があればよい。
それが、
「以前ここであったことと関係ある、
さらに進んだ展開が起こる」ようにすれば、
行って来いでもなんでもないわけだ。
学校で幽霊が出る。
霊能者のところに相談に行く。
学校に霊能者を連れていく。
これは行って来いでもなんでもなく、普通にある展開だ。
霊能者が役立たずで、やっぱり幽霊をなんともできなくても、
まだ行って来いではない。
かりに役立たずだとして、
次にゴーストバスターズのところに行ったとしよう。
で、三度学校に行き、幽霊がでたとき、
そのゴーストバスターズも役立たずだったら、
「行って来い」の感覚が強くなるわけだ。
往復しとるだけやないか、
同じことが起こってるだけやないか、
というわけだ。
「行って来い」が戒めることは、
ループしてはいけないということだ。
それが場所によってありがち、という戒めだと思うとよい。
まあ我々は、大体同じところで同じことしかしていない。
それは日常に過ぎず、非日常ではないぞ、
というわけなのである。
ということで、展開とは、
行って来いではないことだ。
つまり、前のことと関係して、
次に違うことが起こることである。
「前のことと関係して」が重要で、
別のことが起こるならば平行でしかなくて、
それは「別々のことが別々の場所で起こっている」ことのループになってしまうから注意だ。
前のことと関係して、別のことが起これば、
場所は関係ない。
起こることこそが、行って来いの感覚に関わっている。
2022年05月25日
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