2022年05月25日

行って来いと展開の違い

Aで何かあり、Bで何かあり、
またAに戻ってくるのは、「行って来い」と言われて、
あまりよくない形だとされる。
しかしこれで展開を作ることもできる。
行って来いと展開はどう違うのだろう。

Aで起こったことをX、
Bで起こったことをYとしよう。
再びAに戻ってきて、
またXをしてしまうと、「行って来い」になる。
あるいは、Yと関係ないZでも、
「行って来い」の感覚に近いと思う。
ところが、XまたはYまたは両方に関する何か、Pが行われると、
行って来いではなくなる。

それが展開である。

同じ場所に戻ってくるのは、
行って来いの感覚、
つまり「進んでいない」という感覚を呼び起こす。
逆にいうと、
「進んでいる」という感覚とは、
「どんどん場所が変わっていく」
「どんどん新しい要素が出てくる」という感覚である。
だから同じ場所に戻ってきたり、
同じことをやると、「行って来い」になるから、
やめとけ、という経験則ができたのだと考えられる。

ところが、
別に同じ場所に戻ったとしても、
展開が新しくなれば展開である。
ただ、新しい要素を出すだけでは展開にならず、
同じ場所に戻ったマイナスを覆す、
もっと展開した感があればよい。
それが、
「以前ここであったことと関係ある、
さらに進んだ展開が起こる」ようにすれば、
行って来いでもなんでもないわけだ。

学校で幽霊が出る。
霊能者のところに相談に行く。
学校に霊能者を連れていく。

これは行って来いでもなんでもなく、普通にある展開だ。
霊能者が役立たずで、やっぱり幽霊をなんともできなくても、
まだ行って来いではない。
かりに役立たずだとして、
次にゴーストバスターズのところに行ったとしよう。
で、三度学校に行き、幽霊がでたとき、
そのゴーストバスターズも役立たずだったら、
「行って来い」の感覚が強くなるわけだ。
往復しとるだけやないか、
同じことが起こってるだけやないか、
というわけだ。

「行って来い」が戒めることは、
ループしてはいけないということだ。
それが場所によってありがち、という戒めだと思うとよい。
まあ我々は、大体同じところで同じことしかしていない。
それは日常に過ぎず、非日常ではないぞ、
というわけなのである。


ということで、展開とは、
行って来いではないことだ。

つまり、前のことと関係して、
次に違うことが起こることである。
「前のことと関係して」が重要で、
別のことが起こるならば平行でしかなくて、
それは「別々のことが別々の場所で起こっている」ことのループになってしまうから注意だ。


前のことと関係して、別のことが起これば、
場所は関係ない。
起こることこそが、行って来いの感覚に関わっている。
posted by おおおかとしひこ at 03:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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