2022年05月28日

最後に人は振り返る

なんだろうね。本能なのかね。


誰か大事な人をなくしたとき。
部屋を引き払って引っ越すとき。
何かが終わって、
何かを始めようとするとき。
じゃあねと手を振って別れて、
でも最後に後ろ姿でいいから見たいなと思うとき。

人は振り返る。

物理的に振り返る場合もあるし、
抽象的に振り返る、
つまり思い出を走馬灯のように思い出す場合もある。

人生でも、
物語でも、これはおなじだ。


エンドロールに至ったとき、
人は振り返る。

冒頭から現在までの、このストーリーを。

その人たちとの出会いや、
途中の色々や、
最後にどうなったかを。


それまで住んでいた場所から引っ越す時に、
「この街はこうだったな」とまとめに入る。

デートが終わって帰る時に、
今日の反省点を反省し始めたりする。

会社を辞める時、
何を思ってここに入ったんだっけ、
などと思い、現在地点との距離感を確認する。

人は終わる時、まとめに入る生き物だ。


じゃああなたのストーリーは、
どうまとまる?
起承転結の順番でまとまるだろうか?
そうではない。

引っ越す時に、
この街が起承転結として記憶されるわけではない。
まとまるのは、
「この街は俺にとって○○○だったな」
みたいなことにだ。

よく記者がやるあほな質問、
「あなたにとって○○を、一言で言うと?」
みたいなやつに似ている。

一言にまで圧縮することを、
まとめに入るというのではないか?


さて。
もう何を言おうとしているのか、
わかっただろう。

テーマである。


あなたのストーリーは、
終わった瞬間、まとめに入られてしまう。


どんな工夫や思いつきやアイデアでも、
そんなディテールは忘れられて、
「この映画とは○○である」
と言う風に記憶の棚に収められる。

出来の悪い映画なんか、
たとえば「ヘルタースケルター」は、
沢尻エリカの体当たりセックスシーン、
(しかも微妙)として記憶される。

シンゴジラは、僕の記憶の棚には、
「在来線爆弾の映画」として記憶されている。


あなたは、どう残すつもりだったか?
そしてそれは、結果的にどう残ったか?

エンドロールの間、
そのあと移動して喫茶店で誰かとその映画を話す時間、
あるいは後日しばらく、その記憶にひたる時間。
あんな場面があった、
こんなセリフがあった、
こんなトリックがあった、
などなどのディテールはいずれ消えて、
一言にまで圧縮される。

それはなんだろう?


あなたは自分のストーリーのそれは、なんだと思う?
誰かに聞いてみて。
その脚本を読んだ人に聞いてみて。
同じものが帰ってきたかな。
違うものかな。

おそらく、まったく違うものだと思う。
それは、
あなたのストーリーがあなたの思うように出来ていないか、
仮にできていたとしても、
人はそれを記憶するとは限らないことの、
ふたつの現象からできている。

前者の場合、リライトしなければならない。
しかし後者の場合は、
鑑賞の自由を保障しなければならない。

岡本太郎は、誤解の満貫色となれと言ったという。
誤解される、つまり自分のまとめと、
他人のまとめは違う前提であることを、
覚悟しながらやっていけということだ。


たぶん、日にちが経てば経つほど、
その映画のテーマは、
たったワンシーンにまとまると思う。

それはなんだろう?

クライマックスか、ラストシーンが、
理想だよね。


つまりその重要シーンは、
「まとめ」なのだ。

あなたの話は、
どのシーンがまとめだい?

そのシーンがまとめになるように、
理路整然と話してきたかい?
無駄や寄り道をせず、スムーズに無理なくそこへたどり着けたかい?

そうなってなければ、
そうなるようにするべきだ。


それは、
焦点を追い、感情移入し、
いっときも退屈せず夢中にこの話を見ることとは、
まったく別の次元で起こることだ。

日々暮らしていた街から出る時に、
個々の出来事や店とかのディテールではない、
別の次元から考えることと同じである。

つまりあなたは、
個々の細かいことを制御しながら、
別の次元でもシナリオを書いていることになる。


あなたが死ぬ時、
自分の人生はなんだったと思う?

それと同じことを、
シナリオを書き終える時にやる。

長い人生と高々2時間の差はあるものの、
本質はそう変わらないと思う。
それくらい、必死で書いてるからね。

あなたはこの時点では死なないが、
シナリオは最後のページで死ぬ。

そのあとのエンドロールで、
一体それはなんだったのか、
考えなさい。

そして、それがあってるのか、
それとももっと別のものがふさわしいのか、
考えなさい。

ものすごく客観的にならないと、
これは不可能だと思う。
他人のそれなら、いくらでもまとめられるもんな。




そういえば、
ドラマ風魔の12話、
壬生が姉上を助けて再会し、
陽炎を追って出る時、
一瞬だけ振り返る。

それが姉弟の最後の別れになるんだけど、
あの振り返りは、つまり走馬灯なんだよな。
一瞬だけど永遠みたいな。
あのシーン大好きなんだよなあ。
あの時壬生は男になったんだよ。
つまり人生を振り返り、
壬生の人生の意味が確定したんだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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