流れている話の条件の仮説。
30分のブロックで、4シークエンスがあること。
シナリオの大構造は三幕であるが、
もう少し詳しくみると、
一幕: 30分
二幕前半: 30分
二幕後半: 30分
三幕: 30分
という4ブロックに分かれる。
30分というのは大まかな尺で、
プラマイ3〜5分は、ずれてもよし。
それぞれのブロックのラストは、
第一ターニングポイント、
ミッドポイント、
第二ターニングポイント、
ラストシーン、
と名称はバラバラであるものの、
30分ごとに「次のブロックへの渡し」
があると考えて良いだろう。
ちなみにそれぞれの役割は、
一幕のラスト:
センタークエスチョンを示して、
主人公が後戻りできない決断や選択を主体的にすることで、
自ら解決の本格的な旅に出ることを示す。
二幕前半のラスト:
これまでの話の中締め、
あることが確定して、
前半の文脈(風呂敷を広げる)と、
後半の文脈(風呂敷を畳む)の、
流れを変えるターニングポイント。
ブレイクシュナイダーによれば、
仮初めの勝利、または仮初めの敗北であると経験的に規定される。
二幕後半のラスト:
再びセンタークエスチョンを示す。
すでに「やること」はひとつに絞られているはずであり、
しかも最も危険なものである。
だがそれを乗り越えなければ真の解決はない、
と決意をするポイント。
比較的静かなものが多い。
それは三幕のクライマックスのカウンタースタートになるからだ。
三幕のラスト:
この「次への渡し」とは、観客にとっての現実である。
これまでのお話を総括して、
全体でこういうことを示していますよ、
などと暗示することで、
その後現実へ持って帰ったときに思い出せるようにする。
そのラストシーンを見れば全体の意味や意義がわかるようにだ。
ラストシーンは玉手箱の上に貼られた一枚の写真だ。
中身がわかるようになっているのだ。
基本的には、
前の30分から渡されたものを、
次のブロックへ渡すことを考えて、
30分のブロックを構成すると良い。
一幕のスタートが難しいのは、
前から渡されている「フリ」がなく、
一から雪だるまの芯を構築しなければならないからだ。
雪だるまの場合は石を転がして周りに雪をつけるよね。
その小石にあたるものがあり、
そこに違和感や興味を引いて、
話は転がり始める。
それをインサイトインシデントなどという。
さて本題だ。
この、1ブロック30分が、
「話が流れてる時」とはどういうときか?
という、必要条件の話だ。
シナリオでもっとも詰まらないのは、
「話がどこへ行くか見えてなくて退屈な時」だ。
これは、
「話がどこへ行くか分からなくてワクワクする」
の反対で、
「話がどこへ行くか分からない」という状況とは関係がない。
話が面白ければブラインドコーナーは最高のスパイスである。
で、少なくとも、
退屈な話は停滞が長い。
話が流れてない感覚がしばらく(3分?5分?8分?)
つづくと、人は退屈をはじめる。
逆に、
話に夢中になるときは、
停滞がなく(0でなくともよい。ジェットコースターは、
一瞬止まって安心させてから急加速したりする娯楽だ)、
話が流れている時だ。
一方、
シーンとシーンが直結して、
複数のシーンが一連のひとつとして機能するものを、
シークエンスという。
今書いてる話であれば、
11シーンの5分のシークエンス(テンポよく刻んだもの)、
5シーンで7分のシークエンス(ねっとりしたもの)、
7シーンで6分のシークエンス、
7シーンで10分のシークエンス、
などがある。
で、経験則の本題なのだが、
30分のブロックは、
4のシークエンス
(といくつかのインサートシーン)で構成されてると、
話が流れる気がするんだよね。
理想はインサートなしでの4シークエンスだけど、
なかなか接着剤なしで繋ぐのは難しいから、
いくつかのインサートで接着すると、
うまく行くことが多い。
インサートの数は、5は多いと思う。
つまり人は、
2シーン続けて何も起こらないと退屈を感じて、
3シーン続けて何も起こらないと苦痛を感じる、
みたいなことだろうか。
芸人のギャグを見る時、
一回滑ってもまあ続きを見てやるが、
二回連続滑ったらおいおいと心が離れて、
三回連続滑ったら見捨てる、
みたいなことかな。
イエローカードとレッドカードもそうだよね。
人は二回連続を検知して、
三回連続を確認する生き物かもしれない。
だから、インサートシーンで何も起こらないのは構わない。
ただし二連続は避けるべきで、
三連続はアウトだと思うと良い。
となると、
30分のブロックは、
4つの流れるようなシークエンスと、
何も起こらなくて良い小休止的なインサートシーンの接着剤
(4の前後にすべて挟んだとしても最大5、
二連続までは可)
という物理的構造が、
気持ち良い構造ではないかと考える。
こんがらがってきたら整理して俯瞰することだ。
ただ尺を稼ごうと思うと、
シークエンスがブツ切れになって多くなり、
話が混乱してしまう。
あるいは沢山のインサートをつくり、
停滞のイエローカードやレッドカードを増やしてしまう。
そうではなくて、
シークエンスをたっぷり見せる方針にするとよい。
もし30分がまるまる1シークエンスにおさまったら?
たぶんそれは長すぎて疲れるシークエンスになると思う。
出来が良いなら切る必要はないが、
食べやすい大きさのカットステーキにしたいなら、
15分を目安にうまく切り揃えることを検討してはどうだろう。
僕はシークエンスの一番気持ちいいのは7分半だと考えていて、
名作の二幕後半に現れるもっとも出来のよいシークエンスが、
7分半になることが多く、それを「7分半の悪魔」とよぶ。
ここがクライマックスの裏になっている、
最も深い闇の部分であることが多いんだよね。
1シーンは、撮影場所の単位でしかなく、
話の単位ではない。
話の単位はシークエンスであり、
シーン42とか表記するのは制作上の都合にすぎず、
脚本家的にはシークエンス12などと表記した方が、
やりやすいかもしれないね。
で、もし4シークエンス仮説で4ブロックを整理するとこうなる。
第一ブロック: セットアップ30分
シークエンス1: オープニング〜雪だるまの石のはじまり
シークエンス2:
シークエンス3:
シークエンス4: 第一ターニングポイントで終わる
これといくつかの繋ぎのインサートシーン
第二ブロック: 展開部1、30分
シークエンス5:
シークエンス6:
シークエンス7:
シークエンス8: ミッドポイントで終わる
これといくつかの繋ぎのインサートシーン
第二ブロック: 展開部2、30分
シークエンス9:
シークエンス10:
シークエンス11:
シークエンス12: 第二ターニングポイントで終わる
これといくつかの繋ぎのインサートシーン
第三ブロック: 解決、30分
シークエンス13:
シークエンス14:
シークエンス15:
シークエンス16: ラストシーンで終わる
これといくつかの繋ぎのインサートシーン
こんな風な構造をしているのがいいんじゃない?
という仮説である。
もちろん、必ずシークエンスは4ずつである必要はないし、
インサートシーンがなくてもいい。
このように考えると、
ひとつのシークエンスは短編映画でも同じことだし、
二時間映画はストーリーラインが横に広がり、
同時に走る短編映画の集まり的だということがわかるだろう。
もちろんそれらのストーリーラインは並走だけでなく、
絡んでくるから面白いんだね。
もしストーリーラインが一本しかなければ、
買い物ゲームになりがちだし
(ひとつのシークエンスが買い物ゲームでも全然いいんだが、
二連続買い物ゲームならイエローカードだよね)、
ストーリーラインが絡まなければ、
別々の話やんけということになる。
(ノーランにありがち。
「マグノリア」「バベル」は、
全くバラバラに走る多数のストーリーラインを、
ラストシーンだけでまとめ上げた、
いわば実験的構造の映画だ)
これらのシークエンス構造に関して、
脚本論でメスが入ったことはあまりないんじゃないか。
三幕構成の発見は古くからあるが、
そのマクロとミクロのシーンを結びつける、
シークエンスに関する経験則は、
門外不出で作家の中の秘密かもしれないね。
僕は、シークエンス(流れ)とインサート(接着剤)で、
ストーリーを考えた方がいいのでは?
と最近考えるようになった。
で、不発シークエンスは短く(3分とか)、
成功してるシークエンスは6〜8分である気がしている。
例外は最初の雪だるまの石のシークエンスで、
きっと短いシークエンスだろう。
まだ始まったばかりで、
糸を編み始めたところだからね。
そして、
リライトというのは、
このシークエンスの足し引きをしたり、
削ったり、ニコイチにしたり、分割したりすること、
ではないかと考えている。
目の前の原稿のセリフを直すことがリライトになると、
近視眼的になりすぎるから、
なるべく原稿を見ないでこのような構造単位での直しをしないと、
話のデッサン(テンポと構造感覚)が、
狂ってくるんじゃないかと思うんだよ。
原稿を見ながら筆を入れ直すのは、
リライトでも最後の段階だと思う。
デッサンの狂いを見るには、
シークエンスで測定せよ、ということだ。
2022年05月29日
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