2022年05月18日

捨てる情報

マルチモニタで、ヘッドトラッキングした情報を、
3D映像としてモニタから出せる仕組みの、つづき。
参照:
https://mobile.twitter.com/vjroba/status/1526429840449998849

これを見てて思うのは、
「我々が見てないモニタの情報は、捨てられている」
ということである。


二つ論点がある。

ひとつには、
「我々が見てないところの、
膨大な無駄な演算が発生している」ということ。

マシンパワーが上がったからこんなのが出来るようになって、
良かったね、とは思うものの、
これ見てないところオフでも問題ないよな、
なんてことを思ってしまう。

最近の高画質現場で、
見てないところまで気を使わないといけないのに、
現場は大変疲弊している。
窓際の置き物(だいぶボケている)があるべきかないべきかで、
議論がはじまったときにはめんどくさくて外した。
それより今人物の芝居がいいかどうかだろうが。
みんな何やってんの?って思うよね。

つまり、
「見るべきもの」に対して、
「見なくてもどうでもいいもの」が、
9割とかあって、
この9割にコストがかかるの、無駄じゃね?って思う。

ゲームが高画質になって、
たくさん作られなくなってずいぶんたつ。
9割のコストがかかってるからだ。
それって幸せになったんだっけ?


もうひとつは、
もっと大事なことで、
「この9割の捨てるべき部分を捨てたものが、
表現である」ということだ。

9割のノイズ、9割の雑味を、
どこまできっちり捨てるかで、
純粋なスープになるかが決まるみたいなこと。

純度を上げるために、
情報を増やすのはまちがい。
純度を上げるには、
捨てることである。

そのことで、残った部分の、
脳内解像度があがる。
画質はSDでもドット絵でも構わない。
posted by おおおかとしひこ at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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