映画「タイピスト!」の中で、
肝心の大事な所(決勝戦)で、
アームバーが絡んでしまう、
いわゆるジャムるシーンがあった。
これはタイプライター配列を理解するための、
重要なヒントになるだろう。
どれだけジャムりが起こるのか、
僕は使ったことがないのでなんともいえないが、
新品ならばともかく、
使い込んでいけば摩耗も歪みもグラつきも出てくるわけで、
精密機械としてのタイプライターは、
どんどんジャムる確率が増えていったように想像される。
機械式の精密機械といえば、
他に時計やカメラが想像されるが、
カメラはおっことせば終わりだし、
機械式時計は持ったことないが、
たぶん防水じゃないだろう。
ピアノだって調律師が必要だ。
あれだけの精密機械だと、
プロならば年一回くらい、
オーバーホールが必要だったのかもしれない。
先日オアシスが48万でびっくりしてたんだけど、
映画の中ではそれくらいの高級品に見える。
何ヶ月も(何年も?)貯金してようやく買うものくらいの感覚。
でも、簡単にジャムりそうな構造だよね。
ジャムはどれくらいの頻度であったんだろう。
三日に一回?
月に数回?
1ページに一回?
体感が分からないので、どなたか詳しければ教えてください。
さて、
このジャムを、ある程度想定した配列だったろうと、
想像されるわけだ。
(安岡さんは「qwertyはジャムりを避ける配列」は、
誤りと主張している。
たしかにERやGHなどが並んでいて、
ここはアルペジオでいけるからだ。
どこかとどこかは絡まりやすい、
みたいな機構上の特徴があったかもしれないと考えている)
英字に関してはよくわからないが、
当時のカタカナタイプライターを想定した、
New Stickneyの三段配列を見ると、
そのジャムり避けを感じ取れる。
(もっとも、今見る日本語の連接と、
当時の電報前提の文体の連接では、
だいぶ事情が異なることをことわっておくが)
おそらくダブルシフトによる機構だろう。
だけど飛鳥のように、シフトしぱなしでの打鍵
(連続シフト)は考慮されていないように思える。
シフト文字同士がとくにつながるようになっていない。
そして、アルペジオ連接が、
ほとんどない。
くま、まの、のり、なく、まに、なん、
ちと、とし、しは、はい、して、
あたりが打ちやすいアルペジオだが、
このうち、なく、なん、はい、して、
あたりはよく使う連接であるものの、
その他は繋がらないカナである。
ということは、
なるべく飛び飛びの指を連続させる前提ではなかったかと考えられる。
その飛び飛びって結局ジャムり避けなんじゃないかな、
と想像するわけだ。
そもそも、タイプライターを打つには上からの力が必要で、
突き刺し打ちである。
アルペジオは指を寝かせたほうが打ちやすい。
タイプライターは、だから点で打ち、
アルペジオは線で打つ。
結果、連接は点同士のつながりでしか考えられず、
アルペジオは機構上考えられていないのではないかと思われる。
そもそもブラインドタッチは後発の考え方で、
単にERやGHは、
見た目で探しやすかっただけで、
アルペジオ打鍵するためではなかった可能性もある。
(Aは左小指バインドなのではなく、
左から読むための先頭文字にすぎない)
その伝統からか、
カナ配列設計では、
少なくとも新JISまでは、
左右交互を増やすべき、
という考え方が支配的であった。
隣り合う指や同じ手の連続を避けることが是なのは、
ジャムりを避けたタイプライターの運指法に近いのでは、
と僕は想像した。
逆に、そのタイプライター以来の考え方を、
飛鳥がアルペジオで覆したのだと思う。
飛鳥はノートPCのパンタグラフで開発されたこともあり、
アルペジオを指を寝かせて打ちやすかったと想像される。
飛鳥ではとくに中段の連続が多かった。
新下駄はさらに上下段から中段へというアルペジオも使う。
アルペジオ打鍵の発見は、
海外の配列ではどうなんだろう。
Dvorakでは左右交互だからいい、
という理屈づけがなされていて、
やっぱそれってタイプライター前提なのでは、
なんて思うんだよね。
つまり新配列が、
ジャムるタイプライターではなく、
ジャムらない電子キーボード上で、
はじめてアルペジオを発見したと言えるのかもしれない。
この辺はリアルタイムの歴史を知らないため、
事実と異なってたら指摘してください。
僕はたまたま、
そんなことを全く知らずに、
単純に書道前提の続け字の発想から、
「あるキーの隣に次があった方が打ちやすいじゃん」
と思って、
カタナ式をつくりはじめて、
薙刀式へと発展させた。
なのでどちらの配列図も、
あるカナの隣によく使う連接を、
見た目で発見できる。
飛び飛びの運指が前提の配列では、
配列図から連接を見つけることは難しい、
という違いがあると思う。
仮にタイプライターで、
薙刀式のアルペジオを打つと、
すぐジャムるのかしらね。
今打った所から、なるべく遠くのキーを打たないとダメ、
みたいな予感がするんだよね。
タイプライターは、
なるべく8指をバラバラに使える人が上手かったのだと思う。
ピアノの伝統も手伝ったことだろう。
飛鳥以来、アルペジオを重視してきた配列は、
この伝統を無視したのだと思う。
飛鳥や新下駄は意図的に、
薙刀式は無知が無意識で、
の違いはあるだろうが。
まあ、
要は僕は人差し指中指でジャラジャラと打ちたいだけなんだよね。
精々親指を加えた6本指でなんとかしたい。
タイプライターの運指感覚を持ってる人って今いるのかなあ。
ピアノとキーボードとの差異についても知ってると、
面白いと思うんだがねえ。
ということで、
タイプライター式、ピアノ式が苦手な人ほど、
薙刀式は救世主になる可能性が高いと思われる。
あるキーを打った時、
次のキーは別の指になるほうが、合理的で速い。
それが別の手、遠い指になるべき、
というのがタイプライター的伝統、
いや、その手のすぐ隣の指になるべき、
というのが新配列のアルペジオ。
タイプライター的伝統は、僕は直感に反すると思う。
直感に近い道具の方が、
優秀な道具だと僕は考えている。
2022年05月21日
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