あの明るいアメリカ映画の代表のトップガンの最新ビジュアルが、
デジタル写真になってから生まれたこのトーンになってて、
これでいいのかとずっと考えている。
いわゆるオレンジアンドティールと言われる、
ベースをブルー系にして、
キーライトをオレンジ系にするカラースキームである。
ダビンチが本格的にデジタル映画に導入されて、
いっときみんなこのトーンになり、
それから変形が多少生まれた。
ベースや暗部をティール(青緑ないしシアン)から、
グリーン系やブルー系にしたり、
オレンジを黄色や赤にしたりなどの変形で、
基本的には二色の同一表現だと僕は思っている。
このトップガンのキービジュアルの場合、
ゴールドアンドブルーとでもいえようか。
この写真を見たとき、
「うわあいいぞ!」とは思わず、
「またこれか」と感じたんだよね。
つまり、
今シャシンは、最先端にいないと思ったんだよね。
世界遺産や8K映像など、
「きれい」といわれる写真は山ほど生まれ続けているのに、
映画のシャシンが、
最先端にいないと思ったんだ。
みんなついてこい、これが未来だ、いいだろ、
とどうしても思えなくて、
まあこの辺かなこのあたりでできるのは、
みたいなものを感じてしまうんだよね。
かつてのトップガンはそうじゃなかった。
カリフォルニアの鮮やかな色たちで、
その清々しさ、明るさがアメリカの良さであった。
そしてそれが、世界を引っ張っていたように思う。
今アメリカが一番ではなく、
ジョーカーみたいな映画を生むような、
魔境の国みたいになってて、
それでもなんとかしようとした結果、
この辺くらいまでですかね、
なんてものを感じる。
それはつまり、老いじゃないかと思ったんだよ。
もっとも、トップガンなんてオワコンなんだから、
もっと新しいスタアが新しい娯楽をつくればいいんだけど、
それってなんなんだろうと思うと、
あんまりないんだよね。
ネトフリがその砦になるかと思われたが、
うーんそれほどでもなかったのか?
って感じに失速してるし。
トップガンの時代は、
映画こそが最先端で、
映画こそが未来像という感覚があった。
だけど今映画は、
そうなってないんだな、
みたいな落日を感じざるを得ない。
逆にいうと、
デジタルが、あの明るくて楽しそうな未来
(それは虚偽だったかも知れないが)を、
終わらせてしまったんじゃないかな、
って時々思うんだよね。
デジタルで撮られた映画は、
人を幸せにしたのだろうか?
デジタル映画って、ずっと芯を食ってない感じがするんだよね。
デジタルシャシンで得られる希望の量が、
アナログのシャシンで得られた希望の量よりも、
減ってる気がする。
だから進歩する感覚が得られなくて、
最近の写真はあんまり面白いと思わない。
最後のアナログは、
クリストファードイルや、
マトリックスあたりの時代だね。
そこから、少なくとも実写映画に関しては、
大幅なトーンの進歩がないんだよな。
ずっと毒消しばっかりしてる気がする。
僕の感覚がもう老害化してるだけならいいんだけど、
ゲームの絵もほとんど進歩を感じなくなったしなあ。
面白いのは手書きの絵との融合とか、
実写じゃないものにあるんだよな。
そんなことを、
まったくグッと来ないトップガンの写真を見ながら思った。
「希望あふれる時代は終わった、
今アメリカは繰り返す落日である」というテーマの映画ならば、
その通りのシャシンなんだけど、
僕はこのトーンを見て、
圧倒的な美しさを感じない。
どこかで見たカラーパレットだと思ってしまう。
そのパレットで描いた題材違いにしか見えない。
新しい絵の具に見えないんだよね。
僕はプロで長くいすぎたのかしら。
で、もちろんアナログ写真は進歩が止まっていて、
かつてのように新しいトーンは生まれない。
シャシンに頼った映画というテクノロジーは、
シャシンを捨てないと次の進化をしないのだろうか?
それとも、いまだにオーケストラ音楽が重要なように、
シャシンはシャシンとして居座るのかしら。
物語そのものの原則は同じだとは思うので、
ここでの脚本論は、まだまだつづく。
2022年05月20日
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