あなたは何を掴み、操作すればいいか?
登場人物の数だけ、
目的、立場、
最初の行動、その結果、
次にする行動、その結果、
次にする行動、その結果
…
最後にする行動、その結果
を、頭の中で操作すること。
僕はずっとこれを、
図式的な記号や、カードなどで代用できないか、
つまり手でカードを並べたりして、
脳内のこれらを外在化させることで、
整理して考えられないか?
という仮定のもとで脚本論を論じてきた。
そうすれば、数学の公式のようなものが帰納的に導かれるのではないか?と。
最近、どうやらそれは無理っぽくて、
「頭の中にこれだけの弁当を広げられるようになれば、
外在化したなにかは不要」
と考えるようになってきた。
ストーリーをつくるのが下手な人の特徴は、
要するに、
「これだけの要素数を頭の中で同時にこねることができない人」
なのではないかと、仮説をくんでいる。
詳しく見てみよう。
【目的、立場】
詳しく書けば書くほど頭の中で操作するには重くなるので、
スターになりたい学生とか、
事件を解決したい刑事とか、
売れたい貧乏小説家とか、
そんな感じでいい。
文字数が少ないほど頭の中で操作しやすいぞ。
そして当然だが、
メインの登場人物は細かくて、
脇役は大雑把になるだろう。
事件を解決したい刑事(実は狂っている)、
頼りになる相棒(実は存在しない、主人公の願望)
とかは、
主人公クラスでないと扱えないだろう。
脇役は目的がない場合もある。
医者
くらいね。
まあそうすると、患者に反応する自動機械になってしまうね。
脇役だからそんなもんだろう。
目的は、
その立場の職務にすると詰まらなくなる。
事件を解決したい刑事、
面白いことを言いたい芸人、
などは当たり前なので面白くない。
面白いことを言いたい刑事、
事件を解決したい芸人なら、
面白くなる。
目的と立場をずらすことだ。
本来事件を解決しなければならない刑事なのだが、
ほんとは芸人になりたくて、
黙って素人芸人コンテストに出てしまい、
うっかり決勝戦に残る。
しかしその客席に、現在追っている事件の犯人らしき人がいて、
尋問したくなる、
と言う風にすぐ面白そうなストーリーをつくれるよね?
じゃあどうしようか。
突如客いじり芸に演目を変更して、
その客を舞台の上にあげてしまう、
そのまま尋問ギャグをはじめて、
ちょっと警察呼んでー!がオチになるようなギャグをアドリブでかます、
みたいな展開を考えることはすぐにできるよね。
こんな風に、立場と目的が異なることが、
ふつうでないストーリーをつくるコツだ。
これは頭の中なら簡単に変更できて、
面白いことを言いたい医者にすぐに変えられる。
おなじく決勝戦で、
客席の中に急病人が出てしまい、
診察ギャグをかまして、
この中にお医者様はおられますか!私です!
と一人でかますギャグなんかはすぐに出るだろう。
事件を解決したい芸人ならどう?
娘がキャンプで行方不明になってしまい、
捜索しつづける芸人なら?
記者に囲まれたときに面白いことを言えなくて、
芸人としての人気が落ちていったら?
そんな話を考えることもすぐできるよね。
こうした、目的と立場が違う人は、
頭の中で何人まで操作できる?
面白いことを言いたい運転手と、
事件を解決したい保母さんの、
恋愛話くらいはできそうだね。
でもそこにスターになりたい船乗りが絡むと、
もうお手上げになるだろう。
つまり、2人くらいまではなんとかなる、
というレベルだ。
つまりこれは、
じっくり描けるのはせいぜい2人、
ということを示唆している。
二人が揉めたり愛し合えばラブストーリーに、
二人が競合して憎しみ合い、戦う話ならば、
プロタゴニストとアンタゴニストの、
いわゆる対立ベースの話になるだろう。
もしあなたの頭の中が、
せいぜい二人までしか動かせないならば、
セカイ系になってしまうだろう。
三人目が脳内に存在できないからね。
僕は経験的に、
粒度が細かい、粗いはおいといても、
5〜6人がメインであればいいと考えている。
それ以上頭の中で操作するのは難しいからだ。
「登場人物を減らして整理する」のは、
脳内の登場人物の解像度を上げるためだよね。
逆に、解像度の低い人物ならば、
10人でも20人でも脳内操作可能かもしれない。
でもそれは、
立場と目的が同じの、
ロボットのような人物像ばかりになり、
「自動的に時間が進む」タイプの、
何も面白くない日常系になるだろう。
我々が扱うのは非日常であり、
日常ではない。
人が生まれ、暮らし、死んでいくのは日常であり、
それとは異なる、ずれたところがストーリーになる、
ということを理解することだ。
先生が教える、叱る、ほめる、
上司が指導する、怒る、異動する、
母親がやさしい、きれる、
などはストーリーではない。日常に過ぎない。
ということは、
目的と立場をどうつくるのか、
それが何人くらいいるのか、
を、
頭の中でこうかな、ああかな、
と非日常にこねくり回すことが、
ストーリーをつくることなんだよね。
想像すればわかるように、
これは大変頭がつかれる。
だから糖分補給が重要で、
だからデブ注意なのである。
ストーリーテラーにデブが多い理由は、
考えまくったからなんだよな。
【最初の行動、その結果、
次にする行動、その結果、
次にする行動、その結果
…
最後にする行動、その結果】
目的と立場があれば、
各登場人物の行動を考えることができる。
これは一人だけではお使いゲームになってしまう。
絡みがないからだ。
説明、行動、説明、行動、になってしまい、
いつか飽きてしまう。
これは、登場人物が複数いて、
別々の目的を持っているからおもしろくなる。
ある人の目的のための行動と結果が、
別の人の目的のための行動と結果を、
邪魔することがあるからだ。(コンフリクト)
それがわかっていてやる場合(悪意、妨害)と、
わかってなくてそうなってしまう場合があるが、
それは面白くなる方でいいと思う。
目的を変える、というのも行動のひとつである。
スターを見ていた女の子が、
マネージャーと恋に落ちてスターを諦めることは、
現実でもフィクションでもよくあることだ。
ある人物を殺そうと思っていたが、
相手の事情を知ってしまい、
その人を守ろうと思う、
なんてのもそうだよね。
目的、行動、結果の連鎖反応こそが、
ストーリーの骨格(プロット)だ。
ここでこういう行動をとったが、
別の行動にするとどうだろう、
ここでこういう結果が出ているが、
別の結果になるとどうだろう、
と考えることが、
ストーリーをこねくり回すことであり、
リライトやプロット段階でやることである。
あるいは段階をすっ飛ばすことや、
段階を増やしてややこしくすることもあるよね。
とくに中盤はこのことの複雑なパズルになるだろう。
これらを頭の中で想像できない人は、
ストーリー作りに向いていない。
ここでAをBに変えたのだが、
そうするとCが矛盾するな、
なんてこともよくある。
頭の中では気づいてなかったが、
紙に書いてみるとわかったりする。
これくらいだと、まだ半人前だろう。
勿論最初からできなくてよくて、
紙に図式などを書いて、
徐々に頭の中だけで操作できるようになるとよい。
そろばんが頭の中にできるのと同じである。
ストーリーテラーになるということは、
これらの要素を頭の中で操作して、
自在に組み替えることができる、
というような意味ではないか、
と最近僕は考えている。
なぜなら、こうしたことができない人が、
僕の身の回りにたくさんいるからだ。
これは特殊な技能であり、
だから脚本家は貴重なのだな、
と考えるようになった。
慣れてくると、
頭の中でこれらは操作できるようになる。
他人のストーリーでも、自分のストーリーでもだ。
ただ、脳がめっちゃ疲れる。
疲れずにできるようになることが目標だけど、
やっぱ疲れるんよね。
脳神経は最も老化しにくいらしいので、
鍛えればずっとこのスキルは使えると思うよ。
さらに慣れてくると、
同時に複数の話を操作できるようになるよ。
そんなバカなって?
連載漫画を何本も同時に読んでるから、
読む自体はできるはずなんだよね。
その都度頭の中に風呂敷をひろげて、
作業が終わったら畳んで横においとけば、
いけるのではないかな。
ストーリーと生きていくとは、
こうしたことを日常的にすることじゃないか?
これができないと、
キャラ設定はできるがストーリーが浮かばないとか、
世界設定まではできたがストーリーができないとか、
ストーリーと関係ないところをトンチンカンに攻めることになるだろう。
たとえばFive Star Storiesのように設定の化け物になり、
なにひとつ消化できない物語になるだろう。
これはデザイナーの仕事であり、
ストーリーテラーの仕事ではない。
もちろん漫画家や小説家は両方やる。
脚本家は、ディテールの細かいところまではやらなくてよいが、
言葉でざっくり説明できる範囲くらいはやるべきだろう。
実写版竜魔であれば、
「左目に眼帯をしている」は脚本家の仕事であるべきだ。
なぜなら「その眼帯の封印をはずしたら超能力が発動する」
「蘭子がその象徴である眼帯をもらう」という、
お芝居と関係ある部分だからだ。
それが「黒の革か、銀色(紐まで)にしたい」は監督のデザインコンセプト、
実際の布の裁断の形やフチをつけるか、は衣装部の範疇だね。
こうしたディテールに囚われていると、
大掴みの頭の中の展開ができなくなる。
ストーリーテラーとは、
どんなディテールが来たとしても面白くなるような、
大掴みの部分を作る人のことだ。
実写竜魔の眼帯が赤かろうが右目だろうが、
あるいはグラサンであろうが、
ストーリーの面白さ(小次郎に立ちはだかる長兄の価値観であること、
蘭子とラブストーリーがあること)とは関係がない。
頭の中で、大掴みの要素を組み替えたり入れ替えたりしよう。
それが脚本家のメインの仕事である。
執筆なぞ児戯。
2022年06月13日
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