Twitterより。
> 勝川 俊雄@katukawa
> 家事を一切しない人の方が、要求水準が高いのは、良くある話。それと同じで、政治と全く接点がない人は、政治に多くを期待しすぎているように思います。何らかの形で政治過程に関与すると、多くの人の不断の努力で、ようやく今の政治水準が維持できていることが実感できます。
これは政治の話だけど、
どこででも起こっている気がする。
自炊しない人の、飲食店への過剰サービス要求。
コンビニ店員や100円ショップ店員へのサービス要求。
プログラムへの仕様変更。
そしてストーリーを作らない人の、
脚本への要求。
外注産業はすなわち、
「自分ではつくらない」である。
それどころか、
「作る人の気持ち、仕組み、段取り、
合理的なやり方、
よくある過ち」
についても、
無知になるということだ。
作らないことで、
作る文化も喪失する。
すなわち、
よくできてるものへの尊敬、
繊細に組み立てられたものがバランスを崩したら戻らないこと、
思ったものと違うのができたけど、
これはこれでいいかという開き直り、
批判に対して傷つけられず、強くなること、
崩された後に立ち直る仕組み、
何度も賽の河原つみをやり、ご破産になると心が折れること、
工程に比例した金額と、
才能に支払われる対価の相場。
それが失われたら、
要求は無限になる気がする。
で、
「そんなん無理やろ」とキレたら、
「キレるやつはクビ」にして、
キレない人を雇う。
そしてその人は無能でも、
その無能さに気付かない。
出来よりも面子のほうがだいじになるからだ。
そうして、ニコニコ顔の無能がのさばり、
ほんとうにものづくりをする人は去ってゆく。
僕は政治家がスキャンダルを起こしてもなんとも思わない。
多少の失敗でも怒らない。
ただ成功を一つもしないやつには怒る。
政治だって仕事なんだからそれぐらいでいいだろ。
清廉潔白や聖人を求めるならば教会へ行け。
ここは腐敗した世界に落とされた場所だぞ。
(追記)
あとやらないやつって、標語が好きだよな。
それも、
「伏線は目立つものの中から選べ」
みたいな具体的に役に立つやつではなくて、
「笑顔ではきはきと」
みたいな精神論のやつね。
技術を極めた人が、
「技術は体力の基礎の上にある」
みたいなことを言うと説得力あるけど、
「体を鍛えれば根性で乗り超えられる」
しか言わないやらないやつの、
いうことを聞くことはないよな。
2022年05月21日
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