2022年06月18日

時間とは、次に違うことをすること

ストーリーの停滞はとてもよくある脚本上の問題である。
このブログでもかなりそのことについて対処法を書いてきた。
これだけたくさん書くのも、
僕自身が困ってるからでもある。

ところで、
停滞を防ぐには、時間の正体について考えるべきなのだ。
時間とはつまり、「現在との差分」で認識されるものである。


少しだけ違うことしかしないことや、
同じことのループは、
時間ではないということだ。

たとえば牢獄に入れられて、
毎日同じことしかしないならば、
時間は進んでいないのと同然だ。
(禁固刑はつまり、時間を奪う刑罰なのだ)

もちろん、
「時間が進まない」というパートは、
ストーリーの中でないわけでないが、
それは「進む」ことが前提での、
「停止」という意図的な演出のはずである。

そうではなくて、
「進む」べきときに、
「進まない」を書いてしまうことが、
停滞の原因であるわけだ。


そもそもなぜ停滞するかというと、
次にガンガン進むストーリー展開が思いつかないから、
ダラダラと書いてしまう、
ということだと思う。

だからいっそ、
「少しでも前に進めよう」と、
苦しみながら書くのではなく、
「次にガンガン進む展開を思いつくまで、
何も書かない」をやった方が良い。


そもそも「次にガンガン進む展開」は、
プロットに用意してあるはずで、
なのに書けないのは、
「現在からそこへのブリッジが思いつかない」か、
「現在の気分が原稿に反映してしまっている」
かのどちらかではないかと思うのだ。



実際、
前書いてたもので、その現象があった。

あるキャラクターが嘘をついて追い詰めた人が、
事故死してしまい、
後悔するという場面だ。

どうにもその後悔から抜けきれず、
次の展開がうまく走らなかった。
結果そのキャラクターが登場せず、
そのキャラクターは三幕まで沈黙を貫くことになり、
そのことから立ち直る文脈すらなかった。

これは変だと思い、
立ち直るきちんとしたリバーサルポイント
(逆転部)
をつくるべきだなと考えたのだ。


現実で、
自分のついた嘘が、たとえ悪意でなくとも、
それが原因で誰かが事故死してしまったとしたら、
一ヶ月で立ち直れるだろうか?
何年も引きずるかもしれないよね。

キャラクターと一体になっていればなっているほど、
その引きずりは長くなる。

じゃあその場面から、何年も書けないということになるじゃない?

実際そうなった例はたくさんあって、
「あしたのジョー」は力石の死後迷走して、
結局力石の死から抜けられたとは言えないし、
「エースをねらえ!」の宗方仁の死のせいで、
作者は筆を追ってしまい、出家したそうだ。

とくに死のイベントは影響力が大きく、
そこから立ち直ることを描くのは大変難しい。
「タッチ」が克也の死を克服したかというとそうでもなく、
「時間が解決した」としか言いようがないよね。


長期連載ではそういうこともあるが、
短期決戦二時間勝負の映画シナリオでは、
何年も待つわけにはいかない。
せいぜい三日休んで、
死の場面の直後から執筆を再開しないといけないわけだ。

これは、長期連載とは別のタイプの苦しみである。


映画でよくあるのは、
葬式のシーンで泣き叫んだりして感情の整理をいったん行う、
そして直後のシーンで「別の始まり」がある、
という処理の仕方だ。

死でなく、
たとえば試合に負けたシーン、
会社を辞めたシーン、
別れたシーン、
などのマイナスなことがあったとしても、
「ものすごく落ち込む」
(一人芝居ではなく、複数のいる前で落ち込むほうがよい。
何故ならそれは助け舟をそのあと出せるからだ)
シーンを1シーン描けば、
次のシーンでは次の展開がはじまるものである。


これは、
作者の住んでいる時間と、
観客の感じている時間が、
全く違うからだと思う。

作者にとっては身内のマイナスだから、
気持ちが落ち込み、回復して、
前向きになるにはずいぶんとかかるのだが、
観客にとっては、
「他人が落ち込んだんでしょ?わかりました。
ある程度時間はかかるだろうから待つけど、
ここから大逆転するんだよね?
それを見せてよ」
という期待しかないからだ。
「立ち直らないのなら、それは語るべき他人の価値がない」
とすら思うよね。

だから、
いつまでたってもグズグズ引きずり、
何シーンも時間が進まないと、
イライラしてくるわけだね。

他人には冷たい。
それが人というものだ。



停滞しているのは、
ストーリーではなく、作者の気持ちなのだ。

このことに作者自身が気付けるかなんだよね。



シナリオの中でも「時間に解決させる」
のやり方はあって、
「別の人物での話を進める」
「時間を飛ばす」などがある。

別の人物で話を進めるとは、
たとえば悪役側のストーリーにフォーカスするとか、
サブ人物のサブプロットを展開させるとか、
「一方こちらでは」を描く方法だ。
そのあとマイナスに落ち込んだ人物のところに戻って来れば、
いくばくか時間が経過してるから、
立ち直る何かをしてるのを描いても不自然ではない。

あるいは、別のところへフォーカスせずとも、
「三日後」「二週間後」「一ヶ月後」
などに時間を飛ばして、
立ち直りつつところから始めれば良い。

しかし注意するべきことは、
サブプロットの方が面白くなって続けてしまったりとか、
落ち込みから回復する瞬間を描かずに、
回復後につなげてしまうことだ。

観客はマイナスになってしまったあとのことを心配しており、
そして回復してまた前のように活躍してくれることを期待している。

そのリバーサルがとても小さなものであれ、
そこに人間の真実味を感じるものがあれば、
ドラマとして次の展開の始まりになるのである。


僕の書いたストーリーの例では、
一緒に仕事をするパートナー(主人公)の存在が大きかった。
事故死は不可避であったことをまず確認した上で、
なぜそもそもこれをやろうと思ったかの心情の吐露をさせて、
あなただけの問題ではない、
これは俺の問題でもあるんだ、
だから続けようという場面で、
落ち込む心を上向きにさせた。

その後強力なリバーサルポイントをつくることで、
落ち込みからの完全回復、
事件解決への最後のひとわたしをする活躍を描くことが可能になった。

もちろん、
強い人ならば自力回復することもあろう。
だけど、人の落ち込みを回復させるのは、
人だと思うんだよね。

落ち込むのが主人公だったらメアリースー的だろうが、
そうではなかったので自然に描けた感じ。



もちろん、マイナスへの落ち込みだけが、
停滞の原因ではあるまい。

しかし期待されているのは常に変化であり、
停滞を吹き飛ばすリバーサルだ。

我々は停滞する日常から、
停滞しない非日常を見に行くというのに、
ここで停滞してどうするんだよ。

停滞からの怒涛のリバーサル。
それこそが、停滞の次に期待されるものである。
さらなる停滞なんてやってる場合ではない。


時間とは変化である。

展開→展開→展開

がのぞましい。
もちろん、一休みの停滞をわざとはさみ、
休符にしても構わない。

問題は、休符→休符→休符である。
posted by おおおかとしひこ at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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