2022年06月17日

ストーリーの要素を大掴みに考える3

ストーリーの大枠をコントロールして、
リライトするときに、
要素を分解して大掴みにとらえ、
それらを頭の中でいろいろ作り直すことは、
とても有効な手段である。

しかしそれから零れ落ちる、
大事な要素がある。それが感情移入だ。


僕は、
感情移入と共感はわけて考えている。
共感は「自分と同じものに感じるもの」
感情移入は、「自分とは違うが、それはわかるとなるもの」と、
区別している。
感情移入がうまくいくと、
最終的には主人公と一体化してしまい、
主人公に共感してしまうので、
感情移入と共感は、
最終出口が区別がつかなくなる。
違いは、入り口だと考えればいいと思う。


感情移入は、
立場と目的だけでできるだろうか?
それは履歴書のようなもので、
その人の心や感情や真意が入っていないのではないかな。
大掴みの要素だけで考えてしまうと、
ともすると、
履歴書の文面だけで人員配置をしてしまうことになる。
それは心が入らない。

なんでその人はそれがマジでしたいんだっけ?
という部分が抜けがちだよね。
(履歴書にもね)

その人の本気度とか、その人の切実度とか、
その人の感情の揺れとか、
それがわかってくると、
応援したくなる、
という感情が、感情移入である。
これは、大掴みの要素だけでは難しいところだ。
しかし、「妻が死んだ過去を持ち、人を避けている」
なんて大掴みの設定要素ならば、
「まあわかる」というくらいは可能だろう。

つまり、なるべく履歴書程度の情報で、
感情移入に至るように、
パーツをつくっていくことが大事だ。

モンタージュ理論によれば、
顔の表情や演技は、共感要素にはなるものの、
それが絶対必要ではないことがわかっている。
事情や立場の理解があるだけで、
たとえ無表情でも人は感情移入するのである。

だから、結局、
そういう風に大掴みの要素をつくっておくとよい。

僕は、それが真の設定だと思うんだよね。
眼帯を外すと超能力が出るとか、
最強の剣士だったが今は引退しているとか、
雑誌「〇〇〇」が好きとか、
真の設定じゃないんだよな。

そうじゃなくて、
「そういう事情や立場ならば、
そういう目的をもってもしょうがないし、
その気持ちは顔を見なくてもわかるよ」
となるように、
大掴みの要素をつくっておくべきだと思うんだよね。

それって、初手の大掴みの要素を考えるときではなくて、
だいぶ後半にやることになると思う。
(そして、初手からやってればもっと簡単につくれたのに、
なんて後悔するものだ)



要素を大づかみで頭の中で練るとき、
これらの要素をすべて頭の中で展開することは、
とても難しいと思う。

展開要素、
テーマ、
感情移入、
という三面で考えるしかないように思える。

それのチェックが甘ければ、
どこかが弱いものになるだろう。
(等しいバランスが最強とは限らない。
それはストーリーしだいだ)
posted by おおおかとしひこ at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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