キャラが立ってくると、
セリフが勝手に頭の中に出てくることがある。
そのキャラが勝手に勝手なことを語りだすのだ。
それはメモしておくとよい。
それをそのままあとで使うことは滅多にない。
だいたいストーリーの都合とは関係ない、
支離滅裂なことが多いからだ。
だけど、そのキャラのその人らしさが出る、
ビビッドなセリフのことが多いんだよね。
すぐ怒るキャラの、怒り方みたいなものとか、
誰かに真実を隠されていて、知った時のリアクションとか、
ずっと思ってたことを言う言い方とか、
まあなんでもいいよ。
思いついたものは書いておくべきだ。
そのメモを見直す必要はない。
それにストーリーが引っ張られてゆがむデメリットがある。
じゃあメリットは何かというと、
そのキャラが他のセリフを言うときにも、
そのキャラらしさを伴って言うことが多くなるのだ。
つまり、そのメモは、
「そのキャラに慣れる練習」
なのである。
そのキャラが劇中で言わないとしても、
劇の外で何か言う場面を想像すれば、
そのキャラの練習をしていることになるわけである。
これはキャラクターメイキングの、
ひとつのやり方でもある。
有名なやつは、
「ストーリー中で一回も話していないやつに、
そのキャラが話しかけるとしたら」とか、
「そのキャラが(劇中ではいかない場所の)
スポーツジムに行ったら」とか、
「そのキャラが酒を飲んだら」とか、
「そのキャラが〇〇という映画を見たら」とか、
「そのキャラが親と話すときの会話」とか、
そのキャラになりきる場面をいくつか設定して、
それをアドリブで演じて見せたり、
書いてみたりする方法がある。
それはわざとそのキャラっぽくないところへ置いて、
そのキャラらしさを想像する訓練なのだが、
先ほどのメソッドは、
「そのキャラらしさが爆発するようなセリフはどういう感じ?」
を練習していることになるわけだね。
とくにそういう場面がなかったとしてもかまわない。
でも似たようなリアクションを引き出すような、
展開のアイデアに繋がるかもしれないよ。
先日書いていた話では、
女刑事の劇中では言わなかったセリフが、
実はストーリーの鍵になっていることに、
メモを整理していて気付いた。
こうしたキャラの言動が、
無意識の中に息づき、
ストーリーが自然と出来上がることは、
とてもよくあることだ。
だから、無意識の融合を信じて、
そのメモはあまり見ないことを勧める。
その代わり、いつでも吐き出し口として、
そのメモは傍らに置いておくことだ。
僕はスマホのメモにいつも何か思いついた瞬間に書くことにしている。
執筆中はあまり見返すことがないが、
全部書き終えたときに、紙にそのメモを落とす習慣がある。
どういうことを過去に書いたかなあ、
などと確認するためだ。
たいてい使い物にならないのだが、
重要な場面に影響を与えていることがあり、
人間の無意識って面白いなあと思った。
いつでもメモできるようにしておこう。
いつあなたのキャラがしゃべりだすかわからない。
これは人格分裂症なのかね。
それに近いと思う。
発作のようにそのキャラがしゃべりだすからね。
そうやって憑依をつくっていくわけだ。
そして、終わったときに全部手書きのメモに落とし込むことは、
無意識に分裂した人格を、
元のひとつに統合しようとしているんだと思う。
そうしないと、分裂したまま生きていかないといけないからね。
堺雅人は終わった仕事の台本は捨てるらしい。
そうやって憑依を落とすのだろう。
そういう儀式も大事だよね。
ということで、物語創作は一種の多重憑依、
人格の分裂行為だ。
うまく分裂し、うまく元に戻ろう。
2022年06月24日
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