そこにしかない絵を思いついたとき、
それ以上のものを思いつかなくなったとき、
そのストーリーは挫折するように思う。
典型的な例。
すごい絵を思いついた、
これではじまる映画はめちゃくちゃ引き込まれるぞ
↓
次どうするか思いつかない
↓
書けなくなり、挫折
よくある、
はじまりは書けるけど、
その後が続かないパターンだ。
実写版「ガッチャマン」がそのまともな例なので見てみると良い。
オープニングアクション終わった後の、
はげしく詰まらなさよ。
そしてそれを最後まで超えない詰まらなさよ。
オープニングアクションは、
本来前菜だよな。
最初にメインディッシュ出したら、
残り1時間50分はデザートだ。
持つわけがない。
典型例2:
すごい絵の第一ターニングポイントで終わって幕切れした
↓
その期待の次に応えられる展開が浮かばない
↓
二幕早々で挫折
これもよくある。
じゃあどうすればいいのか?
我慢するか、
早漏してより面白いのを思いつくかしかない。
そして後者は今出来てないんだから、
前者しかないではないか。
面白くてオリジナリティのある、
新しい絵による表現を思いついたら、
それ以上がないなら、
それはラストに持ってくるべきだ。
そして他にもオリジナリティあふれる絵を思いつくしかない。
そして、
後に行くほど面白い絵になるように、
並べるしかないのである。
もちろん、
これはストーリーの重要な結節点である必要がある。
どうでもいいシーンならば、
カットの対象である。
ストーリーの重要な場面こそが、
新しくてオリジナリティあふれる絵になるべきであった。
ただ面白い絵だけを思いついても、
それがストーリー上の結節点でないと意味がない。
ただストーリーを思いついても、
重要ポイントが平凡な絵なら、
平凡な話になるだろう。
それは、卵が先か鶏が先か、
という話である。
ふたつは同時に出てきて、回転するべきだ。
途中までは思いつくのだが、
どこかしらで挫折してしまう人は、
この回転がどこかで止まってしまう人である。
回転し続け、何個も生み出して、
それらを編集したり並べ直せるほど余らせなければならない。
カード法が有効なのはこの段階で、
ああでもないこうでもない、
これが使える、あれは使えない、
なんて足し引きしながらストーリーを構想するのに向いている。
一本線が出来てしまってからは不要だけど、
迷ったらそれに戻っても有効だ。
絵とストーリー。
このマリアージュこそが映画というものだ。
小説では、では絵を考えなくていいか、
というとそうでもなくて、
やっぱり重要な場面は鮮烈な絵の方が記憶に残ると思う。
五感に訴える意味でも、視覚を利用しない手はない。
一個しか思いつけない人は、
何個も思いつけ。
そのトレーニングをしよう。
2022年06月26日
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