この緊張感や、必死さはどこから来るのか。
生死がかかっていることである。
とくにうまいのはセットアップの、
「帰ってこれない奴が出る」という部分だ。
マーヴェリックに課された「全員生還」の、
あまりにも重い試練。
グースを失った自分にとって、
あまりにもトラウマを思い起こさせる試練だから、
面白いのだ。
以下ネタバレで。
よくよく考えてみると、
なぜアイスマンは、
マーヴェリックをパイロットでなく教官として、
招聘したのだろうね。
パイロットじゃなくて教官?
という意外性を生むためと、
中盤をスクールものにするためのアイデア、
単独飛行で勝手に領域侵入して、
俺はできると示すシーンは素晴らしいんだけど、
最初からパイロット兼教官でいいじゃんね。
そこはちょっとご都合なんだよね。
でも、
自分だけが生き残ればいいというハングマンと、
そのままでは死んでしまう生徒たちを、
全員どうやったら死の任務から生還させられるか、
という責任の重圧のドラマは、
新鮮ですごく面白かった。
生き死にがかかった話は、
原始的である。
だから面白い。
今日本で生死がかかった場面はあまりない。
医療ドラマがなくならないのはそうした理由で、
殺人事件を扱う刑事ドラマがなくならないのも、
そうした理由だ。
人の生き死にがかかったドラマは面白いのだ。
なぜなら、自分は死なない前提だからだ。
映画は平和な人のための娯楽である。
だから、それと真反対の、
生き死にがかかった話はハラハラして面白いのだ。
つまり、面白い映画とは、
「新しい生き死にのかかったパターンを開発した映画」
と言えるかも知れない。
デスゲームの発明は、新しい生き死にのパターンだから、
流行ったんだね。
僕はとくに高所恐怖症だから、
そういう新しいパターンに弱い。
カイジの鉄骨渡りは、原始的で素晴らしいアイデアだと思ったし、
ミッションインポッシブルゴーストプロトコルの、
真空になる手袋でのガラスタワーを登るシークエンスは、
映画館でずっと汗をかいていた。
こういう心臓に悪いやつこそが面白いのだ。
ジェットコースターと同じである。
新しい生き死にのパターンを考えたやつは、
多分勝てると思ったな。
この自分だけができるだろう、
生還不可能ミッションを、
出来なさそうなやつらに教える羽目に、
というのは、
新しい生き死にのパターンだ。
トムクルーズの脚本を読む目は素晴らしい。
(自分がいかにスタントするかで見てるから、
生き死にのパターンに敏感なのだろう)
プロデューサーとして、そこがぶれてないんだよね。
ただ、だからこそ、
「何のために命をかけるのか」
が、よく分からなくなっている時代背景が、
この映画のクリアさを濁らせているんだよな。
トップガン1の頃は、
冷戦状況だったから、
「命をかける」は対ソ連のため、
という分かりやすい命題があった。
今は牽制中だが、
やる時はやらなければならない、
それがアメリカのためだ、
というとても分かりやすい構図があり、
それこそがアメリカの軍映画の、
清々しさであった。
つまり、時代劇とおなじだ。
「国のため」「藩のため」が、
分かりやすい構図で、
現在のようにややこしくなかったわけだ。
今わかりやすいのは、
「ウクライナのため」しかないと思う。
それくらいロシアの侵攻って悪に見えている。
(逆にウクライナは、プロパガンダチームが素晴らしく、
トップガン1のように、世界を見ているように、
各種ビデオがつくられている。
ロシアの侵攻理由もよくわからんところが、
味方しているのは否めない)
もしこの宇露戦争に、
アメリカが参戦していたら、
よりトップガンマーヴェリックは分かりやすい映画になっただろう。
「命をかける」ことの清々しさが出てきたからだ。
ところがアメリカは参戦せず、
戦争は現場ではなく政治の産物であることが、
暴露されてしまったように思う。
だからUSネイビーといっても、
なんだかただの会社組織に見えてしまうのが、
劇中とは関係なく、
もったいないなあと思うんだよね。
物語の出来としては、
1をはるかに超える良作なのだが、
時代背景のせいで、
「命をかける新しいパターン」が、
なぜか乗れなくなってしまっている。
そこだけが、時代の気分とずれてしまった。
コロナで延期になったことも大きく、
宇露戦争の時期とのバッティングもあるのは、
ある種の不幸で、
興行というのはそこまで考える必要がある。
物語性と時流は、
公開時期を先に決めないといけないから、
難しいとは思うけど。
さて、
何を言おうとしているかというと、
テーマの話である。
「トップガンマーヴェリック」のテーマは?
と言われると何もないんだよね。
考える前に行動しろ、
というわけでとない。
それは命のかかった現場だからなんだよね。
キャッチコピーで悩ましいのもそこだろう。
命がかかった現場で、友を助けるのは何故か。
それくらい突き詰めたコピーでも良かったかも知れない。
トップガンのかつての観客は、
これを理解できるくらい歳をとったろう。
配給サイドも中高生に大ヒット!を目論んでいるわけではない。
だからこそ、
大人がわかる原始的なコピーにするべきだった。
もちろん、答えは「それが人間だから」なのは、
映画を見ればわかることだ。
グースJr.が助けに来るところは、
それくらい素晴らしいシーンであったと思う。
なぜ生き死にをかけるのだろう?
それこそが、映画のテーマである。
トップガン1は、国のため、みんなのため、
と分かりやすいヒーロー映画だった。
この混迷の時代で、
新しい生き死にのパターンと、
新しい「なぜ生き死にをかけるのか」が、
求められていると強く感じた映画であった。
その「なんのために」がはっきりしたとき、
人は進んで命を差し出すと思う。
その面白さこそが、人類の求めている究極の娯楽だと思ったな。
進撃の巨人の壁の中の世界が面白かったのはそこで、
壁の外に出て急激につまらなくなったのもそこだよね。
翻って邦画だ。なんかぬるい。
学芸会って言われるのもわかる。
長い東宝シネマの予告編見てたらうんざりする。
2022年05月30日
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