2022年05月30日

生死がかかっている話は面白い(「トップガンマーヴェリック」評3)

この緊張感や、必死さはどこから来るのか。
生死がかかっていることである。

とくにうまいのはセットアップの、
「帰ってこれない奴が出る」という部分だ。
マーヴェリックに課された「全員生還」の、
あまりにも重い試練。
グースを失った自分にとって、
あまりにもトラウマを思い起こさせる試練だから、
面白いのだ。

以下ネタバレで。


よくよく考えてみると、
なぜアイスマンは、
マーヴェリックをパイロットでなく教官として、
招聘したのだろうね。

パイロットじゃなくて教官?
という意外性を生むためと、
中盤をスクールものにするためのアイデア、
単独飛行で勝手に領域侵入して、
俺はできると示すシーンは素晴らしいんだけど、
最初からパイロット兼教官でいいじゃんね。

そこはちょっとご都合なんだよね。

でも、
自分だけが生き残ればいいというハングマンと、
そのままでは死んでしまう生徒たちを、
全員どうやったら死の任務から生還させられるか、
という責任の重圧のドラマは、
新鮮ですごく面白かった。

生き死にがかかった話は、
原始的である。
だから面白い。

今日本で生死がかかった場面はあまりない。
医療ドラマがなくならないのはそうした理由で、
殺人事件を扱う刑事ドラマがなくならないのも、
そうした理由だ。

人の生き死にがかかったドラマは面白いのだ。

なぜなら、自分は死なない前提だからだ。
映画は平和な人のための娯楽である。

だから、それと真反対の、
生き死にがかかった話はハラハラして面白いのだ。


つまり、面白い映画とは、
「新しい生き死にのかかったパターンを開発した映画」
と言えるかも知れない。

デスゲームの発明は、新しい生き死にのパターンだから、
流行ったんだね。

僕はとくに高所恐怖症だから、
そういう新しいパターンに弱い。
カイジの鉄骨渡りは、原始的で素晴らしいアイデアだと思ったし、
ミッションインポッシブルゴーストプロトコルの、
真空になる手袋でのガラスタワーを登るシークエンスは、
映画館でずっと汗をかいていた。

こういう心臓に悪いやつこそが面白いのだ。
ジェットコースターと同じである。

新しい生き死にのパターンを考えたやつは、
多分勝てると思ったな。


この自分だけができるだろう、
生還不可能ミッションを、
出来なさそうなやつらに教える羽目に、
というのは、
新しい生き死にのパターンだ。

トムクルーズの脚本を読む目は素晴らしい。
(自分がいかにスタントするかで見てるから、
生き死にのパターンに敏感なのだろう)

プロデューサーとして、そこがぶれてないんだよね。



ただ、だからこそ、
「何のために命をかけるのか」
が、よく分からなくなっている時代背景が、
この映画のクリアさを濁らせているんだよな。

トップガン1の頃は、
冷戦状況だったから、
「命をかける」は対ソ連のため、
という分かりやすい命題があった。
今は牽制中だが、
やる時はやらなければならない、
それがアメリカのためだ、
というとても分かりやすい構図があり、
それこそがアメリカの軍映画の、
清々しさであった。

つまり、時代劇とおなじだ。

「国のため」「藩のため」が、
分かりやすい構図で、
現在のようにややこしくなかったわけだ。

今わかりやすいのは、
「ウクライナのため」しかないと思う。
それくらいロシアの侵攻って悪に見えている。
(逆にウクライナは、プロパガンダチームが素晴らしく、
トップガン1のように、世界を見ているように、
各種ビデオがつくられている。
ロシアの侵攻理由もよくわからんところが、
味方しているのは否めない)

もしこの宇露戦争に、
アメリカが参戦していたら、
よりトップガンマーヴェリックは分かりやすい映画になっただろう。

「命をかける」ことの清々しさが出てきたからだ。

ところがアメリカは参戦せず、
戦争は現場ではなく政治の産物であることが、
暴露されてしまったように思う。

だからUSネイビーといっても、
なんだかただの会社組織に見えてしまうのが、
劇中とは関係なく、
もったいないなあと思うんだよね。


物語の出来としては、
1をはるかに超える良作なのだが、
時代背景のせいで、
「命をかける新しいパターン」が、
なぜか乗れなくなってしまっている。

そこだけが、時代の気分とずれてしまった。
コロナで延期になったことも大きく、
宇露戦争の時期とのバッティングもあるのは、
ある種の不幸で、
興行というのはそこまで考える必要がある。
物語性と時流は、
公開時期を先に決めないといけないから、
難しいとは思うけど。



さて、
何を言おうとしているかというと、
テーマの話である。

「トップガンマーヴェリック」のテーマは?
と言われると何もないんだよね。
考える前に行動しろ、
というわけでとない。
それは命のかかった現場だからなんだよね。

キャッチコピーで悩ましいのもそこだろう。

 命がかかった現場で、友を助けるのは何故か。

それくらい突き詰めたコピーでも良かったかも知れない。
トップガンのかつての観客は、
これを理解できるくらい歳をとったろう。
配給サイドも中高生に大ヒット!を目論んでいるわけではない。
だからこそ、
大人がわかる原始的なコピーにするべきだった。

もちろん、答えは「それが人間だから」なのは、
映画を見ればわかることだ。

グースJr.が助けに来るところは、
それくらい素晴らしいシーンであったと思う。




なぜ生き死にをかけるのだろう?

それこそが、映画のテーマである。
トップガン1は、国のため、みんなのため、
と分かりやすいヒーロー映画だった。

この混迷の時代で、
新しい生き死にのパターンと、
新しい「なぜ生き死にをかけるのか」が、
求められていると強く感じた映画であった。

その「なんのために」がはっきりしたとき、
人は進んで命を差し出すと思う。
その面白さこそが、人類の求めている究極の娯楽だと思ったな。

進撃の巨人の壁の中の世界が面白かったのはそこで、
壁の外に出て急激につまらなくなったのもそこだよね。


翻って邦画だ。なんかぬるい。
学芸会って言われるのもわかる。
長い東宝シネマの予告編見てたらうんざりする。
posted by おおおかとしひこ at 11:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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