脚本はお芝居のことだけを書くのだが、
それを表現する映像の本質を知っておくことは、
何かの役に立つと思う。
映像の本質、それは「二次元であること」だ。
これを見るとよくわかる。
https://twitter.com/TheFigen/status/1537098984430440450?s=20&t=gSkeCc4Z6JWiD4wfFOhxTQ
単なるお遊び特撮なんだけど、
これが成立する理由は「二次元」だからだね。
三次元、立体映像やVRでは成立しない特撮だ。
二次元であること。
つまり「絵」なんだよ。
いい絵を撮るねえ、ダメな絵、
なんてことを良くいう。
いい立体、ダメな筐体、とかはいわない。
だから、
絵で表現できることまでが映像の限界で、
逆に映像は、絵を利用する。
特撮、合成、CGは、
絵を作ることであり、
立体を作ることではないんだよね。
だから、三次元で、二次元の嘘をつくことが、
絵作りであるともいえる。
たとえば、
「AとBは付き合っている」という、
本質的には時間軸を持つ関係性を、
絵一発でわからせるには?
手を繋がせればよいよね。
出来ればちょっとイチャイチャしながらね。
ただ棒立ちのAとBではわからない。
ト書きは、このことを書くんだよ。
絵一発で、長い時間かけないとわからないことを、
表現できることを、表現すると良い。
そして、
二人がすーっと冷めた顔になり手を離して、
「さよなら」と別々の道へ歩き出して消えれば、
もう二人は別れたんだなと分かる。
つまり、分かる絵と分かる絵のつながりの部分に、
時間軸、因果、ストーリーが発生するんだね。
冒頭の例では、
「フェリーの車を巨大な手が動かしてる」
という非現実が面白いし、
「それは特撮だった」
という種明かしも面白い。
映像が平面であることを利用した、
いい作例である。
立体では難しいが、絵ならできる。
そういうことを映像ではやる。
絵で表現できないことだが、
立体なら分かることは、
映像ではやらない。
もちろん、カメラが動いたり人が動いたりすることで、
つまり時間軸という「変化」を使うことで、
2.5次元くらいまでは拡張できる。
「アバター2」の予告を見た時、
僕は「アトラクション」だと思った。
ディズニーランドやパビリオンのようなものだと。
体験型ストーリーとはつまり演劇で、
それと二次元の映画は別なんだよね。
三次元は体験だけど、
二次元は整理なんだよね。その違い。
三次元の体験を、
二次元に整理したのが、僕は映画だと思う。
「アバター2」の予告を見て、
僕はせっかく整理された映画が、
アトラクションレベルに下がったと感じた。
感情移入なしで、その視点を体験して終わりなのかな?
一応見るけど。
映画の三次元化は、
表現の次元をひとつ上げた代わりに、
内容の次元を下げていると思う。
高度な抽象化を、具体に下げるわけだからね。
シナリオとは、三次元の体験を、
どれだけ二次元にフィルターを濾せるか、
だと僕は考えている。
2022年06月16日
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