という直感があるような気がする。
人によって異なるかもしれないし、
同じものもあるかもしれない。
その差異こそが、配列の違いでもいいと思っている。
たとえば薙刀式で、
最初の音「あ」が右人差し指ホームにあるべき、
というのは僕の強いこだわりだ。
qwertyローマ字でのAが左小指というのは、
僕は一生許さない。
頻度が最もあることはもはやどうでも良くて、
言葉と指の対応関係でだ。
いや、大事なものだからこそ、
結果頻度が高いわけで、Aに関しては両方だろうね。
同様に「主格の格助詞」の代表である「が」は、
ホームキーにあるべきだと思っている。
薙刀式は清濁同置であるから、
FJ同時だ。
もし清濁別置なら、Fに置いたと思う。
同様に格助詞で頻出の「の」は、
シフトのJに置いてある。
それは、大事なものは人差し指(とくに右)で、
使いたいという直感を反映しているわけである。
で、本題。
それはどこの指のどこらへんのカナまでかなあ、
という話。
メジャーどころはそうするべきだ、
に関しては異論はそんなにないだろうけど、
マイナーどころをどう考えるか、なんだよね。
人差し指>中指>人差し指伸ばし>薬指≒小指
くらいの優先度で考えているが、
左手と右手のどれをどのくらい優先するべきかもわからないし、
それがどのカナまで対応するべきかもわからない。
今悩んでいるのは、シフト側の、
「わ」「む」「ふ」である。
それぞれ、0.8%、0.3%、ふ0.9%(ふ0.4%、ぶ0.4%、ぷ0.1%)
という頻度だ。
現在の版では、
それぞれ、中指下段、薬指下段、小指中段、
に位置させている。
指のもつれがほとんどなくなったし、
頻度のバランスも悪くないと考える。
(「ふ」は清音のときだけセンターシフトで、
濁音、半濁音は左手人差し指と同時になるため、
思ったより「ふ」の負担が小さい)
で、ようやく僕の疑問がやってくる。
「わ」は中指なのかなあ、
「む」は薬指なのかなあ、
「ふ」は小指なのかなあ、
という、
「直感に対する違和感」だ。
これまでは、
「わ」「ふ」が薬指で、
「む」が中指であった。
これが違和感が全くなかったゆえに、
逆に「このカナはこの指」が、
僕に定着してしまったのかもしれない。
それ以前はどう考えていただろう?
「わ」は「わたし」の第一音だから、
右人差し指であるべきと考えていた。
だからかつてはH裏にいたんだよね。
「わ」は古語で「わたし」を意味するし、
「吾」「我」を当てることもある。
でも前の版、薬指ホームに一回慣れると、
まあそんなもんかなくらいだった。
ただ、中指下段はまだ慣れない。
「む」「ふ」はどうか。
無用、無駄、無理、無敵、無関心、
不可能、不要、不急、不利、不恰好、
などの否定形を打つのに、
薬指や小指でいいんだろうか、
ということを考えてしまう。
もっと中心になる指にあるべきでは?
と思ってしまう。
「よく使うカナをよく使う指に」は、
新配列の合理的原則である。
これと言語的身体感覚、
「格の高いカナを、格の高い指に」とが、
微妙に矛盾するところがある、
ということだと思う。
無や不に使う指は、人差し指か中指だと思うんだよなあ。
「ない」や「ん」は、右人差し指中指にあって、
それは薙刀式の気持ちよさに寄与している。
だから無や不も、なるべくその辺に置きたい。
しかしそこにはもっと大事なカナが位置を占めていて…
という制約があるわけだね。
もっとも、
今回の大騒動は、
「よく使う連接がロールオーバーになったとき、
同時押し扱いされる問題」を回避するため、
同時押し組み合わせでないカナにしたい、
という否定的理由から始まっている。
積極的理由からのスタートではないから、
「妥協」がゴールになるのではないか、
と予測している。
それを覆すナイス解を見つけるか、
妥協を受け入れて自分の中で解消するかの、
二択になっている気がするんだよな。
で、あらためて、
無や不が薬指や小指でいいかなあ、
と自分に問うているわけだ。
ぎりぎり小指は使わない、薬指まで、
と制限すると、
「ふ」を「ん」裏にして「かん」が「ぶ」に化けるのを、
許容せざるを得ない。
でもそれは最初の問題が横滑りしただけだ。
(もちろん現在の版でも、「かー」が「ぶ」に、
「こー」が「ぷ」に化ける危険はあるものの、
「かん」や「から」に比べれば圧倒的に少ないと考える)
この問題はそもそも、
「よく使うカナをよく使う指に」
「よく使う指をシフトキーに」
の二つのバッティングが原因だ。
だからよく使うカナの連接が、
同時押しに化ける危険が倍増してるわけだね。
これが中指シフトになるならば、
こうした事故確率を下げられる。
だがそれは、
人差し指シフトという、使いやすい方式を捨てることになる。
むむむ。
根幹に関わる問題について、
今悩みが発展しているんだな。
「そこにそのカナがいるべき」という直感。
「よく使うカナを、よく使う位置に」という合理。
「よく使う指を、シフトキーに」という合理。
これらの矛盾が、
「あまり使わない」場所に集約している、
というわけだろうね。
その皺寄せ部分でも、
うまく原則を貫ける解があるか?
というのが、
目下の探索目的だと考えられる。
新下駄は、
「マイナー部は適当で良い」と割り切っている。
(実際そう判断したのではなく、
メジャー部を良くすることが優先だっただけだろう)
ちなみに、
む(VK)、ふ(ED)、ぶ/、ぷ(D.)
になっている。「む」「ふ」は割と良い位置だけど、
「ぶ」が違和感を持ったことを思い出した。
やっぱ小指に「ぶ」は、僕の感覚の中にはないっぽい。
「ぷ」を評価するほど新下駄をやりこんでいないため、
そこも分からないとしか言えない。
飛鳥は、
「マイナー部でも納得がいくように」と、
徹底的に時間をかけて、
「もうこれ以上はない」までたどり着いたはず。
ただそれが本当に合理的だったかは、
飛鳥使いに聞いてみないとなんともいえない。
(僕はそれを理解したくて飛鳥を触ったが、
把握する前に僕の指に合わないことがわかり、
中断したままだ)
「もうこれ以上はない」が、
結局妥協だった可能性もあり、
ひとつの意思が最後まで貫かれたかは、
よく分からないのがくやしい。
配列図を見る限り、
む〈N〉、ふ【O】、ぶB、ぷ〈G〉
と、わりと良いところを占めているから、
このことについて結構考えがあったのかもね。
ただ飛鳥文書の中からこれだけに関して抜き出すことが困難なので、
ちょっと躊躇しているところ。
カナの位置に関する議論で、【あ】のような表記法だったら、
機械的検索で抜き出せるのになあ…
(薙刀文書もそうなってなくてすいません)
とはいえ、
現在は慣れが違和感と同じくらいになってきたため、
どっちつかずな感覚になりつつある。
これ以上違和感が消えないのかは、
使い続けないと判明しない。
2022年06月27日
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