2022年06月30日

【薙刀式】なんだかんだv15Bが安定してきている

指の位置が直感とは異なるものの、
運指の良さが上回りはじめた。

今のところこれ以上運指が合理的になる解がないので、
このままずるずると慣れるかもしれない。

その途中の精神状態が面白いので記録しておく。


たとえば「わ」に関していうと、
中指下段というのは直感としては異なる。
指の直感では人差し指か薬指にしたくて、
上下段より中段にしたい感覚がある。
これは「指と音の対応」のような、
生理的な直感のような気がするんだよね。

だけど他との連接ではここは合理的なので、
直感よりも速く打てて、
納得が蓄積されていく感じ。

まずこの改造は、
「わからない」を高速にするためにあった。

だから単独で「わからない」と打つと、
脳ではなく指が「なるほど」と納得した感覚がある。

だけど、
「今はわからない」とか、
「やってみないとわからない」とかの、
複合で一気に打つと戸惑う。
「わ」以降からの流れはいいとしても、
「どこからそこに連接するか」に関しては、
まだ鍛えられていないようだ。

だから前の「わ」へ指が流れてしまい、
立ち止まることがある。

ところがこれも続けると、
そのうち、
「今は分からない」と書こうとしたら、
「いまは」を書いてるうちに、中指がアップを始めるようになる。
「わ」を書く前から待機状態になるようだ。

で、「今は分からない」がスムーズに書けるみたい。

「わ」を書く段になって指を移動させていては遅い。
「いまは」を書いてるときにすでにイメージというか、
その流れが後に来ることがわかってないと、
動くことは出来ないようだ。

この、スタンバイ状態に勝手になるまで、
無意識化できれば、
たとえ直感と異なっても、
打ててしまうのかもしれない。


もうひとつ興味深いのは、
「わからない」ではそれが徐々にできても、
「言わない」「わすれる」「さわる」「違和感」
などの、「わからない」よりあまり打たない言葉だと、
まだそれが起こらないことだ。

つまり、言葉によって、同じカナなのに、
「指の直感」にずれが生じ始めているということ。

これが全ての「わ」を含む言葉(自分の中での)で、
置き換われば、「直感も置き換わる」になるのか、
それともまだ直感は別のところを指し示すのか、
というのが目下の興味だ。


「わ」よりもマイナーな、
移動したカナでかつ直感と反する、
「ふ」「む」では、
まだ違和感の方が強い。

直感とはなんだろう。

「これまで学習してきた結果、
得られている感覚」なのだろうか。

だとすると人によって感覚が異なるのだろうか。

手書きをずっとやってきた人や、
フリックをずっとやってきた人は、
感覚が違うんだろうか。


言葉にできないこうした部分は、
「変更」というイベントで明らかになることがある。

引越しをするときに、あらためてこの部屋広かったんだなあ、
と思う感じに似ている?


また、
たまにテンパったりボーッとしたときに、
ずいぶん前のバージョンのカナの位置を間違えて打つことがある。
「この感覚懐かしいな」みたいなやつ。
僕は「感覚のゴースト」だと思う。
完全には上書きされてなくて、
マイナーのマイナーなところがまだ書き変わっていないのだろう。

それがたまーに出てくることがあると。

腕を切った人が、まだそこに腕がある感覚があるという、
ファントムペインと同じ原理のような気がする。

自転車の感覚はまだ僕は普通にあるが、
この坂の上のアパートに越してきてから20年近く、
実は僕は自転車に乗っていない。
でも体には「自転車に乗る感覚」というのは普通にあるから、
運動神経の中にある感覚というのは、
なかなか書き変わらないのかもしれない。

ゲームで言うと、
僕はバーチャロン(初代)が大好きで、
アファームドのトンファーキャンセルで走り回る感覚が物凄く好きだった。
この感覚は他のどのゲームにもなく、
続編からも削除されたため、
初代バーチャロンでしか味わえない運動感覚なんだよね。
今でもたまに夢に見ることがあり、
暇な時は動画を漁ることがある。

動体記憶、とでもいうのだろうか。
ダンス経験者とかでも似たような感覚なのかね。


それと言葉とが、
手書きという動体記憶や整理された感覚として、
組み合わせで残っているから、
qwertyに強烈に違和感を覚えて、
自分に合うものを作ってきたのだろう。

しかしそれは合理とは反するところがあり、
とくにマイナー部では皺寄せがある、
というのが現状っぽい。


これは上書きしきれるだろうか。
マイナー部ゆえに時間かかるだろうな…
仮に「わ」が順応したとしても、
「ふ」「む」で新しい違和感に到達する可能性はある。

自分の感覚にここまで向き合った話は聞いたことがない。

イチローがバットの素振りを欠かさなかったり、
ピアニストが練習をサボらないのも、
この感覚を維持するためですってね。

僕が漫画家を目指してた頃は、
毎日描いてた記憶がある。
手の感覚が鈍る感覚は、僕はよく知っている。

だからフォーム改造理論みたいなことと、
似たことをやってるのかね。

何が起こるのか、どうやれば合理的なのか、
何が失敗なのか、研究してる例はあるんかな。
ハンカチ王子はフォーム改造に失敗したそうだね。
成功と失敗の分水嶺はどこにあるんだろ。
posted by おおおかとしひこ at 07:35| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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