2022年08月07日

序盤はキャラクターが自然にしゃべり始めるまでの時間

作者にとっては、キャラがまだ完全につかめていなくて、
助走時間が序盤であったりするものだ。
というか、
最初はこんな感じかなあと思って書いていたら、
どんどん生き生きとしてきて、
終盤にはもうそれしかないキャラになった、
みたいなことが多いと思う。

それは無駄だ。
冒頭からそのキャラクターはそのキャラクターであるべきなのだ。


じゃあどうしたらいいかはなかなか難しい。
一般的には、
一回最後まで書いてから最初に戻り、
キャラクターの統一性をリライトしていく、
という手法を使うだろうか。

しかし物語とはキャラクターの変化だから、
最初から最後まで、
まったく同じぶれないキャラクターを描いても、
そのキャラは物語に参加していないと言ってもよい。
物語とは、キャラ変を描くことだといっても、
言い過ぎではあるまい。

だから、キャラクターが変化する前提で、
冒頭、序盤、何かのきっかけ前後、変化のはじまり、
変化の途中、もうこれ以上変わらないラスト、
のように段階的に色分けをして、
それらを生き生きと書き分けるのが、
ベストだと思われる。

それはたいへん難しい。
一人のキャラクターならばまだ可能だが、
複数の人間を、そのように上手に通貫させるのは至難の業だ。
だから、
複数回のリライトが必要なのだと考える。

序盤に登場する人物は一人ではないだろう。
そのキャラクターの第一印象は、
のちのちの軌跡に対して的確か?
もっと強くしたほうが、弱くしたほうが、
もっと変えたほうが、いいのではないか?
そうしたことを逆算で、序盤に仕込むべきだ。

しかるにそんなことは、
第一稿ではほとんど考えられていないことが多い。
序盤はまだ作者がキャラクターやストーリーの雰囲気に慣れる時間帯に、
使っていることが多いと思う。

第一稿はまあしょうがない。
だが二稿以降は、
それらの無駄な時間を切り落として、
キャラクターの序盤を、きっちりうまく描きなおそう。
ストーリーはタイトにセットアップせよ、
という格言は、そのことも言っている。

事件が起き、舞台を設定し、
それらへのリアクションとしてキャラクターを描き、
どういうムードの作品なのかを設定し、
リアリティレベルや常識をなんとなく示し、
しかも伏線を張らないといけなくて、
しかも引き込まれるほど面白くなければならない。
序盤がもっとも技術がいるパートだ。

毎回これを一発で書ければいいのに、
と思うけど、
ここが一番筆が入るね。
やることが多いからだ。

とくにキャラクターのリアクション、
行動、テンションなどは、
まだ全然ぬるいことが多いよね。
それをうまく再調整していこう。


最近のハリウッドでは、
「キャラクターのエモーションに注目する」
なんて言い方をすることがある。
多分同じことを言ってる気がする。
posted by おおおかとしひこ at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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