ダイヤの原石を磨くとか、
鍛えるとか、
色々なたとえがあるけれど、
一旦発掘された才能は、その後どうなるのか、
誰も教えてくれない。
ダメなプロデューサーたちは、
伸びてきた草をそのまま収穫して、
餌はあげない人が多い。
つまり、勢いがある人が出てきたら、
とりあえず買い付けて、
あとは勢いがなくなったら捨てる。
そこに才能と才能のミックスアップは、
あまりなくて、
なんだか事務的である人が増えた。
漫画で見られるような、
お互いが高め合う感じは、
僕は数名でしか経験したことがなく、
あとの百人単位は、
ゴミみたいなプロデューサーだったな。
もちろん相性もあったのだろう。
このような現状では、
才能は一旦花ひらいたらしぼむ一方で、
疲弊したら死ぬみたいなことになっている。
僕の理想は、才能が才能と出会い、
混ざり、高めあい、独立して、
さらに高みに登ってゆく世界なのだが、
買い付けレースに参加する人は、
ただ才能の波乗りをするだけみたいだ。
それは搾取以外の何物でもないと僕は思う。
さて。
我々は、その現状を理解した上で、
自分の才能をすり減らしたり、
搾取され過ぎないことを考えなければならない。
ただ、
才能は、すり減ったり、蒸発するものかは、
まだ分かっていないことが多い。
時代との親和性とか流行りにちょうどいい感じは、
偶然によるところが大きいが、
実力的な部分は、
蒸発はしない気がする。
ただ、切った刀はなまくらになることが多い。
これは、一度通用した技は、
二度と大衆に通用しないからである。
(聖闘士か)
だから我々は、
次々に形を変え続ける必要がある。
一旦どんでん返しで受けたナイトシャマランは、
どんでん返し作風を期待されるがため、
おかしな方向へ行ってしまったように見える。
だけどシャマランは賢くて、
作るたびにジャンルを変えていたんだよね。
幽霊探偵、世界革命とダークヒーロー、
閉鎖的村、キリスト教の信仰など、
どんでん返しをやりながら、
ジャンルを変えて、テーマを変え続けた。
テーマのない「ハプニング」ですら、
ネタ切れではなく自分の才能を他に広げるための、
実験だったんじゃないかとすら思える。
そうして一周まわったあとの、
「ミスターガラス」は最高傑作になったので、
才能を磨き続けて、
他に伸ばし続ける才能も、
必要だと思うんだよね。
つまり、
才能を伸ばすには、実験しかない。
なんでもいいから試すのだ。
成功したら世に出して受けよう。
失敗したら封印して、
なぜだめだったか反省会をして、
次の実験ネタを思いつくのだ。
そのPDCAサイクルを回すには、
小さいループがいいことは自明だ。
短編をたくさん書けというのは、
このことを言っている。
とりあえず100本も書けば、
何が成功で何が失敗かくらいは、
自分で分析できるだろう。
また、自分で成功だと思ってなくても、
他に似たものがないからという理由で、
あるいは、
他に似ているからという理由で、
意外な評価を受けることがある。
つまりは何が評価されるかはわからないから、
沢山つくって吐き出すチャンネルをつくっておけ、
ということである。
僕がこのブログを立ち上げたときは、
「作品置き場」と称して、
没った企画を全部アップする場にしようと思ったんだよね。
でも仕事で関わったやつのアップ禁止みたいになったので、
自主分しかあげられなくなってしまった。
残念だ。
アマチュアならば、
書いた短編シナリオ100本アップするブログを作ったっていいと思う。
僕はなんのしがらみもない小説はアップしていて、
ひそかに書き続けた「てんぐ探偵」は、現在103話を終えたところだ。
(まだ第一稿なので、発表には時間がかかります)
自分が何が評価されるかなんて、
自分で決めてもしょうがない。
評価するのは他人で、自己評価は自己評価でもっとけばよい。
才能とは、たぶん出し続ける力のことだ。
ゴミでもダイヤでも出し続けて、
当たりをそのうち出すだけのことだ。
100発100中の才能なんて多分ないし、
毎回当たりを出せるわけないし、
才能は目減りするから、
常に出し続けて鍛えるしかないんだね。
男子の中にある都市伝説で、
生涯に作れる精子の量が決まっているから、
全部出したら終わり(赤玉が出る)、
というものがある。
これは有限と考える考え方だ。
僕は才能はこうだとは思ってなくて、
根を伸ばし、他の栄養を吸収して大きくなる、
樹木のようなものだと思っている。
同じ土壌から吸い続けると枯れるのも、
似ていると思う。
石油はあと○十年で枯渇すると、
精子モデルのように言われてきたが、
現在は地中でバクテリアが分解して、
増えているのではと考えられている。
僕の考える才能は、後者のモデルに近い。
まあ、枯れるまでやるのは誰もが同じだ。
面白いものへの要求は年を取るたびにキツくなるから、
自分OKはどんどん厳しくなり、
数を作ることは厳しくなる。
たまにはそれを取っ払って、
やったことないものに挑戦するのも、
根を伸ばす意味では面白いと思う。
この人はこの才能だからこの仕事を振ろう、
なんて考えるプロデューサーは馬鹿で、
ただの搾取者、買取者である。
あなたにはこのような才能があるが、
実はこれもやってみたら出来るんじゃない?
と、全く違う餌を与えて実験の機会を与えるのが、
すぐれたプロデューサーで、
才能の正体をよく分かっている人だと僕は思うよ。
なんか分からんけどやらせてみよう、だと
ただの無責任で放置だから、
その間の見極めが難しい。
僕が大昔にデビューしたとき、
「お前は助監督のときと目つきが変わってきたから、
そろそろデビューさせようと思う」
とプロデューサーは言った。
才能がわからなくても、
そういう人として見る人も、
最近いなくなったよなあ。
内面の充実や横溢は、側で見てれば気付くかも知れないよね。
才能は、あるとかないとかじゃない。
自分で育て、転がし、広げるものだと思う。
常に一番苦手なやつにトライするくらい、
実験クラスなら全然OKだろ。
2022年08月08日
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