2022年08月09日

もし…だったら

フィクションの物語をつくる上で、
リアリティラインはものすごく大事だ。
「こんなの現実じゃありえないよ」
とどこかで冷められたら、
物語の夢がそこで弾けてしまうからだ。

だから「もしそれが本当に起こったら」を、
丁寧に描くべきである。

だけど、
ひとつだけ大嘘をつくことができる。
大抵は冒頭にある、「もし…だったら」だ。




もし幽霊がいたら。
もし蜘蛛の力を得て超人になったら。
もし巨人がいたら。
もし美女(イケメン)転校生と恋仲になったら。
もし宝くじが当たったら。
もし死んだ人間が生き返ったら。
もしタイムスリップしたら。
もしあの世があったら。
もし現代にも忍者がいたら。
もし宇宙人が攻めてきたら。
もしモテ薬ができたら。
もし(江戸時代に)すべての武術をひっくり返す奥義書があったら。
もし(冷戦時代に)相手をすっぱ抜く秘密フィルムがあったら。
もし絶対捕まらない完璧な犯罪者がいたら。

フィクションとは、
こうした「もし…だったら」を、
夢見ることから始まると言っても良い。

最初にこの一回だけ大嘘をつき、
あとはそれ以降すべてリアリティで押し進めるのが、
フィクションとしての(暗黙の)ルールであると言ってもよい。


もし忍者が現代にいたら。

武術や忍術は使えるだろう。
黒装束は目立つから、スーツや制服を着ているだろう。
何らかの仕事を貰い、秘密裏に動いて報酬をもらうだろう。
手裏剣はまんまあの形だと銃刀法に引っかかるから、
小石やボール、ペンなどを投げるかも知れない。
ネットで匿名アカで撹乱を担当しているかもしれない。

商品レビューサクラをバイトでしていて、
「俺たちはこんなもののために忍者をやってるんじゃない」
「だけど今はこんなものしか仕事がねえんだよ」
「ああーあ、起きねえかな、戦争」
かも知れない。

ずば抜けた身体能力で、陸上などで活躍するかも知れない。
(末次がナンバ走りを使ったように)

忍者村は、そのへんの住宅街に偽装しているはずだ。
ある商店街がぜんぶそうかも知れない。

人間の女の子を好きになってしまい、忍者同士の結婚から脱走するかも知れない。
その女の子は「いいよ、忍者でも」になるまで、
さまざまな葛藤をするだろう。
それは差別される恋愛というイバラ道だろう。

昔の忍術書は役に立たないが、
人間の心理はずっと変わっていないので、
原則はそのまま使えるだろう。

忍者であることがばれそうになる展開。

そろそろ忍者であることを辞めればいいのでは、
という現代的な派閥と、
絶やさぬという保守派がいる。

後継者不足に悩んでいる。
忍者村の合併で人口維持しなければならない。
しかしそのことで老人たちの派閥争いが絶えず、
若者が何を提案しても却下される。


などは、
すべて「もし、いまこの現代に忍者がいたら」
というもしもから考えられるリアリティである。

そして、
「ありそう」なことを何個かやると、
観客は信用するわけだ。
「この『もしも』おもしろいぞ」と。
それは、
「存在すると認めた」ということである。


そうやってまず信用させれば、
あとは事件と解決のストーリーラインへと、
うまくシフトすればいいのだ。

もちろんそれは、あれをやって、
これをやって、というダンドリではなくて、
うまく同時進行させるのである。


物語における第一のアイデアとは、
「もし…だったら」が面白いことである。

そして、「だったら、どうか」のそのあとのストーリーが、
実際に面白いか、ということだ。

そしてこの「もし」は、一つであるべきだ。

「もし生まれ変わりがあったら?
そして俺と彼女が、前世で恋人だったら?」
は、二つあるが、一つの流れで考えられるので、
一つの嘘と考えて大丈夫だろう。

「もし生まれ変わりがあったら?
そして俺と彼女が、前世で敵同士だったら?
だけど前々世で、恋人だったら?」
も、三つあるけど、まあ一つの嘘としていいだろう。

「もし生まれ変わりがあったら?
今カノが前世の恋人で、
元カノが前々世の恋人でだったら?」
も、三つだけど一つの嘘である。

「もし生まれ変わりがあったら?
そして宇宙人が攻めてきたら?」
は、異なる嘘の混合なので、
「ふたつの嘘」になってしまうだろう。

ただ、「生まれ変わりは、他の星からの転生」
のように、二つの嘘を繋げれば、
それは一つの嘘になるだろう。


あるいは、
「もし万有引力が嘘だったら?
X力というのが存在して、
安倍暗殺はそのせいだったら?」
も、そこがうまく嘘をつければ、
一つの嘘として成立するだろう。

ただその後は完璧にリアルでないと信用されないだろうがね。



「嘘は一つ」という基本ルールは、
途中で拡張することもできる。

「もしタイムスリップで武士が現代に来たら?」
で始めた物語は、
中盤ないし序盤のラストのほうで、
「その武士の宿敵も、タイムスリップして来たとしたら?」
と展開させることは可能だ。

それは、「タイムスリップで江戸時代からやってくる」
という一つの嘘の枠組みの中だからだ。
まあ嘘の拡大解釈だね。

この拡大解釈がうまいと、一つの嘘に見える。

下手くそだと、
途中で継ぎ足して嘘が二つになった、
と見えてしまうよ。


たとえば原作「風魔の小次郎」は、
「もし現代に忍者がいたら?」という一つの嘘から始まったが、
「忍びだけが知っている、伝説の剣がある」
という嘘を継ぎ足した。
まあ、ギリギリセーフだと思っていたら、
「神が作った十本の聖剣」「4000年続いた聖剣戦争」
と、嘘の上塗りでは済まないスケールアップをしたが、
あまりにもその荒唐無稽さが面白かったので、
ヒットしたわけだ。
嘘も斜め上につけば許される例だね。

それはおそらく、
「現代に忍者がいたら?」
が、それほど面白い嘘ではなかった、
他に類例があり、オリジナルではなかった、
ということがあると思う。

それを本能で感じ取った車田正美が、
上塗りの大嘘を持ってきたから、
爆発したんだと思うよ。


連載の場合はこうした上塗りもあり得るが、
映画はこうはいかない。
初めから最後まで「ひとつのもの」として、
考えられているからだ。

そこで曲げるなら最初からだしとけや、
ということがよくあるわけだ。

たとえば「フロムダスクティルドーン」は、
そうしためちゃくちゃな曲がり方をしていて、
酷い例なので見ておくとよい。
これを見れば、
「冒頭に一つだけ嘘をつくべきである」が、
自然と理解できるというものだ。



デジタル社会の到来によって、
リアリティの解像度が上がってしまい、
「これが現実にあったらこうなるはず」の、
精度を上げなければならなくなったように思う。

「謎の力Xが首相暗殺に影響した」は、
昔ならバカなB級映画になるレベルだけど、
今はA級で作らないといけないだろうね。

少なくとも物理学はかなり研究が進んでいるから、
その辺を勉強しないかぎり、
その辺の嘘をつくことは難しくなっている。
政治のリアリティも欲しくなるから、
江川紹子レベルには世界を把握しないといけない。

荒唐無稽なことができるのは、
冒頭の「もし」だけなのだ。


だから、ここだけはたっぷり外連味のある、
大嘘をつくべきである。

そこから発展した妄想をまとめて、
リアリティ世界にぶちこむ。

それが物語である限り、
おそらく人類が生き残る限りは、
同じ法則が成り立つと思う。


人間の死について、分かっていないことが多かった時代は、
「もし神がいて、あの世があり、
因果応報や輪廻転生があるとしたら」
という物語が世界に広まった。

だけどリアリティの解像度があがり、
それだけでは信用ならなくなってしまった。

「神とは高次元に進化した宇宙人であり、
意識改革によるアセンションで、
彼らと通じ合えるのだ」
という大嘘がそれにとって変わろうとしたけど、
伝統的な宗教観のほうが分かりやすいからか、
上書きには至っていない。


リアリティの解像度は上がってるくせに、
「もしも」の要求する荒唐無稽さは、
そんなに変わってないと僕は思うな。

そして実のところ、
人々は荒唐無稽を求めていると思う。

だってリアリティの範囲しか飛べないのは、
つまんないじゃない。
荒唐無稽のくせして、その後全部リアル、
というのが、今求められている範囲ではないかなあ。
posted by おおおかとしひこ at 00:07| Comment(7) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>嘘の拡大解釈だね。

以前も同様のご質問をさせていただいたのですが……。

どうもこの拡大解釈の度合いをどこまで使い切っていいいのかよくわかっていません。

たとえばガンダムは

1 人類がスペースコロニーを作って宇宙にでた ←これが基本
2 ミノフスキー粒子の開発により、宇宙空間での戦いが近接戦闘しかできなくなり、モビルスーツが生まれた
3 人類が宇宙空間にでたことにより、進化が行われニュータイプができた

これ
1→2
1→3

と拡張してますけど、2と3は全然別ですよね。
でもあんまり嘘の継ぎ足しには見えない。なんでかなあ、と思うのです。
テレビシリーズ43話あった大長編のおかげなのかな?
同様にアベンジャーズも大長編のおかげでリアリティラインの移動が可能だったのかな?

ということは「嘘の拡張」な物語の長短によって制限されるってことでしょうか?
本質が短編の単品映画では「嘘の拡張」は難しく、長大なシリーズなら許される(ごまかされる)ってことなんでしょうか?

いつもご質問ばかりですいません。
お手すきの時に、ご意見いただければありがたく存じます。
Posted by ふじ at 2022年10月22日 14:35
>ふじさん

その解釈で問題ないと思います。
実際のところは、
「頭から尻まで楽しむために、必要な嘘の量」
というのがあると考えます。
それが多いと多すぎ、少ないと飽きちゃうのでしょう。
シリーズものでは飽きを防ぐために嘘を追加することがよくあります。
原則を歪めていますが、
飽きるよりマシ、という判断ですかね。

ガンダムに関して言うと、
スペースコロニーと「スーツ」型ロボットは、
ハインラインの「宇宙の戦士」を下敷きにしているため、
「宇宙の戦士の世界で戦争が起こったとしたら」
というひとつの嘘から発展している、
という解釈が可能で、
ファーストガチオタはこれがスタンダードと思われます。

なので宇宙の戦士ベースじゃないガンダムはニセモノ扱いです。

ミノフスキー粒子は戦争の副産物、
ニュータイプは戦争の結果(これも副産物か)、
という風に導出することは可能です。


アベンジャーズは妖怪大戦争と思えば、
まあ鬼太郎みたいなことか、と思えば良いのではないでしょうか。
使ってない嘘がたくさん置いてけぼりになってますが、
エンドゲームに使われている分だけを理解すれば、
あとはいらないやつですね。
Posted by おおおかとしひこ at 2022年10月22日 15:38
ありがとうございます。
だいぶわかりかけてきました。
まだまだ勉強させていただきます。
いつも本当にありがとうございます。
Posted by ふじ at 2022年10月22日 15:52
>ふじさん

実際に何本かショートで試してみるのが、
一番わかると思います。
できれば長編で何本か試すのがベストですけどね。
そうするとコントロールする嘘の量がわかるかと。
Posted by おおおかとしひこ at 2022年10月22日 16:10
アドバイス、ありがとうございます。
試みてみます。
Posted by ふじ at 2022年10月22日 16:21
>ふじさん

嘘がいっぱいある方が、書く方は楽です。
しかし見る側はご都合を感じます。
嘘が一つだけだとその逆です。
両方から見れるかですかね。
Posted by おおおかとしひこ at 2022年10月22日 16:23
おっしゃる通りだと思います。
ありがとうございます。
Posted by ふじ at 2022年10月22日 16:26
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック