2022年08月14日

決め台詞のつくりかた

決め台詞は映画の華だ。
ビシッと決まり、以後誰にも真似されるような、
その映画の白眉になるような決め台詞を、
量産したいものだね。

どうやったらできるだろうか?


文章力を上げて、
うまいこと言えるようになるべきだろうか。
それもある。
でもそれって鍛えられる能力かはわからない。
最初からうまいやつはうまくて、
最初から下手なやつは下手な気がする。
比喩表現とか、反復法とか対比法とか、擬人化法とか、
脚韻とか、リズムとか、
そういう教科書で習うものを一通りは使えるべきだろう。

いつ来てもいいように、いつもいい文章を書いておく訓練はしたほうがいい。
(実のところ、このブログを書くことは、
文章力を上げる訓練になっているんだけどね)


で、
別に美辞麗句を書けなくても、
決め台詞をつくる方法は存在する。

それは、
「肝になるところで、短いセリフで済むようにすること」だ。


まずどうでもいいところで、
どんなにいいセリフを書いたとしても、
印象には残らない。
ここ!って部分でいいセリフが来るから、名セリフになるわけだ。
重要なターニングポイントや、
ストーリー上欠かせない重要ポイントで決めると、
「決まった」ということになる。

つまり、「決める」ということは、
「決めるべき場面」と「実際にそこで決めること」の、
二つが必要ということになる。

つまり、来るぞ、来るぞ、来るぞ、
と場面を作っておき、
来たー!にならなければならないということだ。


2つ目の注意点としては、
短い言葉のほうがベターだということだ。

長々とやられてはキレが悪い。
ズバッと短い言葉で決められるほうが、
決めた!って感じになるからね。

決め台詞は短い。
これは頭に入れておくべきだ。

だから決め台詞は、
来るぞ、来るぞ、というつくりと、
実際に短い言葉で決める、
という決めの、二つが成功しなければならないということだ。


以下に、
決め台詞にならない例を挙げておく。

・慣用句、偉人の言葉
「大山鳴動して鼠一匹」とか、
ちょっと難しい言葉を言ってまとめようとすることは、
よくあることだ。
でも状況を短い言葉でうまくまとめることには寄与するが、
「決め台詞」として映画の看板的な場面になることはない。
「神はサイコロを振らない」とかの偉人の言葉も同様だ。
偶然の神頼みをせずに、
自力で突破するぜ、という場面で、
「神はサイコロを振らない」というと、
決めた気になるが、
しょせんは他人(アインシュタイン)の言葉だから、
虎の威を借りる狐に過ぎないということである。
それよりもその人の言葉で言ったほうが、
決めになる。

つまり、「聞いたことのある言葉は、決めにならない」
ということである。
決め台詞とは、その映画のもっともオリジナルであるべき場面だ。
他人のふんどしで相撲を取っている場面は、
記憶には残らないし、決まってもいないよね。


・だじゃれ
何かいいことをうまいこと言おうとして、
だじゃれを書く人がいる。
キャッチコピーの世界でもこれはレベルの低い仕事だといわれる。
よほどうまいこと掛詞になっていれば別だが、
たいていはだじゃれレベルだからたちが悪い。

ひとつアドバイスするとしたら、
だじゃれ程度で満足するな、
もっと決めろ、というべきかな。


逆に、決めゼリフになりやすいものは?


・格言や偉人の言葉をもじる

「神はサイコロを振らない」をもじってみようか。
「神はサイコロ、振るよ」と、
ギャンブルで破産した一家がいえば、
それは掴みの言葉として名ゼリフになる可能性があるよね。
ただ、完全にオリジナルではなく、
アレンジに過ぎないため、
ややパワーは少ない。
困ったときに考えてみよう。
ただ何もしないよりかは、表現になる可能性はある。

・たとえ話
「あいつらはサルに過ぎない」
というたとえ話を振っておいて、
「ようし奴らにバナナをあげに行くぜ!」
というような使い方だ。
一回何かにたとえておけば、その要素を使って、
別のことをそのたとえでいうと、
何か言った気になるものだ。
「人生はボクシングだ」と振っておいて、
「まだ試合終了のゴングは鳴っていないぜ」
なんていうのはよくあるよね。

これは、前振りをどう効果的にしておくか、
という意味では、
伏線の一種であると考えられる。
その解消をするための前振りであるわけだ。


最近書いた話でいうと、
「会社にぶら下がっているダメな状態から、
辞めて野に下ろう」
という話をするときに、
「猿と人の違いを知ってるか?」
という決めゼリフを書いた。

「猿は木にぶら下がったままだ。
人間は木から降りて、文明をつくった」
とそのあと説明を入れることで、
その真意がわかる、という仕掛けとした。
これは「AをBで表現している」というわけだね。


・一回説明しておいたものを使う
前のほどではないが、
これも使える。

たとえば京都人が「元気なお子さんやなあ」
というとき、「ガキうるせえ」という苦情であることはよくあることだが、
これはそういう意味なんやで、
と前振りしておいて、
敵がわあわあいうときに、
「元気なお子さんやなあ」と皮肉を言う、
みたいな使い方は可能だ。
つまりこれも広い意味で伏線と回収なわけだね。

これを説明なしに使うと、
ハイコンテクストすぎることが多い。
京都の慣習を知らない人にはなんのことかわからないだろう。
でも前振りと説明があれば、
万人が、決め台詞のところで、
こういう意味のことを言ってるぞ、と理解できるわけだ。

その効果的な例を、
「ハスラー」「ハスラー2」で見ることができる。
この場合は言葉ではなく、
ギャンブルの本質の行動についてなのだが、
古い映画なのでネタバレすると、
「負けたフリをして掛け金を釣りあげ、
デカい勝負でかっぱぐ」
という作戦が使われる場面がある。
これも前振りが効いていて、
短く一撃で決めているところが同じ特徴をもっている。

ハリウッドの格言に、
「最良のセリフは無言である」があるから、
行動で示せるならば、それは決め台詞であるとも言えるね。



あなたの好きな決め台詞をピックアップしよう。
なぜ決まったのか?
どれくらい短いのか?
それはどういう修辞法で書かれているか?

僕の好きな決め台詞は、
「ターミネーター」のラストシーンだ。
「嵐が来るぜThe storm is coming.」
「I know.」
のたった2行で終わるシーンで、
嵐が来るぜと言ったガソリンスタンドのおやじは、
単にこれから物理的な嵐の話をしているのだが、
答えるサラは、
これからやってくる人類とマシンの死闘の話をしているわけだ。
こうした二重に意味があるのは、
単なるだじゃれではない、
真の掛詞であるといえよう。
しかもたった6ワード。すげえよな。

これはあらゆる映画のラストシーンの掛け合いの中で、
上位に入る決め台詞だと思う。

つまり、「嵐」には、これまでの全場面が伏線として含まれているということだ。
実に上手な圧縮だ。

決め台詞には、圧縮が効いていることがとても多いわけだ。
これまでのことを踏まえないと、
逆に決め台詞にならないのだろう。
冒頭で決め台詞には、原理的にならないのかもしれないね。



ということで決め台詞は、
後半に多いだろう。
その物語を象徴するそれは、
どの重要な場面の、
どこでどのように圧縮された形で出てくるだろう?
posted by おおおかとしひこ at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック