2022年08月04日

【薙刀式】指の速度と思うことを書ける実現度

思いを書こうと思っても、
タイピングの速度が遅いと、
思考がどんどんこぼれて、うまく書けなくなってゆく。

タイピングの指の速度と、
思考のどれくらいを書けるかの、
相関表をつくってみる。
僕個人の例です。


速度の単位は、
相変わらず、文字数(変換後)/10分だ。

分速とか秒速とか関係ない。
文章というのは、
最低でも小一時間は机にへばりついて書くものだ。

逆にそれ以下の単位ならスマホで書いちゃえばいい。
僕の用途は、「まとまった思考」を書くことなので。


その前に、そもそも僕は手書き派だ。

手書き 900

という測定結果がある。
これだと時速5400になるが、
実際には一時間で5000以下に落ちることが経験的にわかっている。
そして1万字書くのは、2時間ではなく、
3〜4時間かかる。
つまり、速度は徐々に落ちてゆく。
仮に3時間1万字ならば、平均556という数字になるが、
最初の30分くらいなら900なのよね。
だから後半は300くらいなんだろうな。

なので10分速はあくまで目安だと考えられる。
長く書けば書くほど、
実際手書きのほうが楽なんじゃないか説を、
僕はまだ否定できない。
ていうか、タイピングで1万字を一気書きしたことがないな。
(清書のコピー打鍵は山ほどやってるが、
創作文は無理かもな)


で、本題。思考の%は体感。

タイピング 思考
500   30%
1000  60%
1500  80%
2000  90%

2000は滅多にいかないので、わずかな経験しかない。
今大体1700〜1200をうろうろしている。

予想に反して、
リニアになっていない感触がある。
タイピング速度が倍になれば、
取りこぼしが半分になるわけではなさそう。

遅い時はそうなんだけど、
思考の100に近づくにつれて、
速いペースはどんどん上げなければならなくなる。


タイピング速度は、
初期の頃はバリバリあがるが、
次第に鈍化して、
平衡状態になることが知られている。

訓練を続ければ微増するけど、
年単位で少ししか伸びなかったりなんてざらで、
つまりは指限界はすぐに来るということだ。

ということは、
タイピング速度の成長曲線と、
思考のどれくらいを書けるかの曲線は、
どこかで交点をなすのだろう。

つまり、タイピング限界みたいな交点だ。


僕個人、薙刀式で、だと、
ざっくり80%〜90%あたりが限界なんじゃ?
と考えるわけだ。
常時2000出るような気がしないしなあ。

一方手書きだと、900なのに、
ほぼ100%出てる気がするんだよね。

差は何かというと、漢字変換の手間だと思う。

手書きは漢直だから、
この速度でも思考が邪魔されないのだが、
タイピングは漢字変換込みで1500の速度を出したとしても、
漢字変換をしている間に思考が蒸発している感覚がある。


ということは。

1. 手書きで900、ほぼ思考100%、そのかわりあとで清書の手間
2. タイピング限界2000あたりを目指して思考90%
3. 漢直で900を目指してみる

の三通りの道があるわけか。

第三の道、漢直の速度ってどのくらいなのだろう?
誰も動画をあげたり、
速度に関しての記述がないため、まったくわからん。

ちなみにコピー打鍵ではなく創作打鍵の話ね。


漢直でたとえば500なら、
手書きの方が全然いいよな。

ビジネスタイピング一級、700程度は、
コピー打鍵でいいので漢直で出せるのかしら。
誰か検証したのか不明。
漢直は情報が少なすぎるし、
かつてあった情報もサーバーが終了しててリーチできなくなってるし。


今のところ、
1. 数千字程度は薙刀式で片付ける
2. 5000以上とかのまとまったものは手書き→薙刀式でデジタル清書
と使い分けている。

5000くらいはたまに薙刀式で書くけど、
手応えはあまり感じない。
軽いキーを使ってるから?

手書きだと「たくさん書いた感覚」というのが、
手の疲労度でわかるんだよな。
それが手応えとしてわかるように、
経験を積んでいるのだが、
タイピングだと自作キーボードで工夫しすぎて、
経験が同じでないためまだ予測がつかない。

ただ、
タイピングの疲労は翌日に来る。
何かしらの運動に近いんだろう。
筋肉痛と同じなんだよなたぶん。



これだけ何年も研究して言えることは、
タイピングでものを書く人は、
そもそも手書きの基礎ができてない人なんじゃないか、
手書きでいけるならタイピングいらないんじゃないか、
という、最初に思ったことなんだよね。

タイピングはこうすればいいぜ!
って言ってる人たちは、
手書きの世界を知らないから偉そうに言えるのでは?
そしてそれはそんなものかと思って真面目にやってきたのだが、
実は手書きで卒業レベルの力がすでにあった僕が、
どんなにタイピングをやってもよくならないぞ、
と悩んでいるだけでは?
という気がしてきた。


親指シフトやら月配列の人やら、
飛鳥や新下駄に夢中になった人たちは、
今も使っているのだろうか?

最初から手書きが下手だった人は、
使い続けてるだろうが、
最初から手書きがそこそこ速かった人は、
その後どうしたんだろう?

それとも手書きで速い人って、
日本にほとんどいないのかな?
(大学生の平均が300だそうです。
速い人で450程度)
むしろ俺の900がレアケースすぎて、
タイピングの想定外なのかな。


タイピングで手書きの速度を超えれば、
しあわせが待っていると思っていた。
でも倍になっても、手書きの方がしあわせなんだよな。

こりゃ困った。
5年以上かけた研究が、
手書きの劣化コピーしかつくってない。

もちろんqwertyと109キーボードに比べれば、
15倍程度幸福なのだが、
それでもなお手書きを超えられない説、あるのかね。




かつて日本の作家たちは、
手書き派とワープロ派にわかれ、
激しく争ったという。

雑誌や新聞のコラム的なのでよく見た記憶がある。
主な論点は文体の変質であったように思う。

思考のどれくらいを書けるのか、
について議論が行われていた記憶がない。
速度と蒸発の感覚について、
誰か書いてないんだろうか?
作業効率的な観点はなかったのかな。
両方を極めた人がいなかった説はありそうだが。

タイピングによる母国語の執筆は、
鉛筆の発明くらいパラダイム転換をなす意義があるのだが、
その効率の悪さ、鉛筆より劣ることについての、
議論がなされていないことがとても気になる。
大丈夫か日本語。
posted by おおおかとしひこ at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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