2022年08月12日

人のつくった芸術とは、設計性

ぼくが構造とか中身とか呼んでるものだね。

漫画「サイバーパンク桃太郎」をAIに描かせることで、
わかってきたことがとても面白い。

結論から先に引用する。
> 同じ主題で人間の描いた絵とMJくんの描いた絵を並べると、人間の絵のほうが桁違いに良い≠ニ感じる(人が多い)のではないか?この良さ≠ヘ、intelligent designの有無から生じていると思う。ヒトという知的な設計者が計画的に描いているから、秩序のある美しい絵になる。

その漫画がこちら。
https://mobile.twitter.com/rootport/status/1557233170348617728
解説がこちら。
https://mobile.twitter.com/rootport/status/1557201469819850753


人工知能研究の一番の面白さは、
「人間とは何か?」がわかることだと僕は思っている。
機械で代替できるならば、
「それではできないこと」が、
人間の本質ではないか?
というやつだ。

つまり、AIの補集合が人間ってわけ。

僕が高校生の頃に人工知能研究がしたいと思って、
京大に行った時は、
こんなにマシンパワーはなかったから、
今人工知能研究はめっちゃおもしろいだろうなあ。

で、
当時の僕が思ってたことは、
「AIには物語はつくれない」だったんだよね。
そしてそれは、
将棋に勝とうがこんなに絵を描こうが、
まだ実現できていない。

そしてそれに必要なのは、
「ある知性で一貫して設計されたなにか」
であり、
それが最もAIが苦手とする何かなわけだ。


別のところで解説されていたのだが、
AIの絵描きというのは、
あるベクトルとあるベクトルにゴム紐をかけて、
引っ張ったどこかでバランスを取ることで、
そのゴム紐が何億本、何兆本あるに過ぎない、
みたいなものであった。

膨大なベクトルから抽出する、
ニューラルネットの本質を突いていて、
なかなかいいなと思った。

つまりは、
AI(というかニューラルネット、ディープラーニング)は、
「中点を取る」しか出来ないんだよね。
それが数兆の次元のベクトルなだけでね。


中点を取るだけだから、
しっかりした構造を作ったりは苦手だ。
ある構造物とある構造物の中点は取れるが、
継ぎ目がめちゃくちゃだったり、
一貫したデザインでなかったり、
「それはこのために置かれていた」が破綻してたり、
「これがあるならこれがある」が破綻してたりするだろう。


だから、少なくとも、
ディープラーニングのモデルでは、
人間が物語を書くことを真似できないだろう。

つまり物語とは、
ガワではなく中身のことだ。

このサイバーパンク桃太郎は、
かなり良くできているが、
中身のストーリーは人間が書いている。

だけどこれ自体も、
「既にあるもののガワを交換することで面白くする」
パロディという手法に過ぎず、
つまりこの漫画は、
桃太郎にパロディのガワをかぶせて、
さらにAIの画風のガワをかぶせたものだ。

中身の中身は、
桃太郎というストーリーなんだよね。


さて、この漫画は出オチまでは出来そうだけど、
展開や落としどころは難しそうだね。
実験はここで終わり、オチまではいかないだろう。
だってオチまでいっても、
「この雰囲気だったらもっと面白いストーリーを期待したのに」
になってしまうだろうからだ。

つまり、ガワに対して中身が小さすぎる。

AIはそんなことは判断できない。

人間が、スケールの大きな物語、
つまりは首尾一貫した設計を、
作らなければならない。


そしてそれこそが、
我々脚本家の仕事なんだよね。
posted by おおおかとしひこ at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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