2022年08月21日

行動がなければ何も始まらない

人生でよく言われるが、物語でもおなじだ。
なぜなら物語は人生のシミュレーションだからだ。

物語のはじまりは事件であるが、
ほんとうのはじまりは、
主人公の行動である。
これは開始5分ないし7分以内におこるべきだ。


ある事件に遭遇した主人公。
第三者の事件でもいいし、
当事者になってもいい。

その時に何をするか?

コメントしたり批判したり、
黙っていたりでは、ストーリーにならない。

行動である。

よくある行動は逃避だ。
困ったことになったら、
人はなかったことにしたり、
そこから逃げ出したくなるものだ。

次にある行動は、たたかう、である。


闘う行為には、反発がある。

何一人で空回りしてんのバカじゃねえの、
という冷めた目線であったり、
直接妨害する、反対の利害の者もいる。

逆に、協力してやろうという人も出てくるし、
その協力者との利害衝突もあったりする。

行動は波紋である。

波紋は波紋をよび、
穏やかだった水面は、ぐちゃぐちゃになってゆく。

主人公はどうするだろう。
それでも一人で行動を続けるだろうか。
協力者たちと行動するだろうか。
敵や利害関係者と、折衝するだろうか。
あるいはまた逃げ出すだろうか。

物語とはつまりは、
「最初に行動した責任の、末路」がエンドである。

「行動なんてするもんじゃない、
損するし、馬鹿馬鹿しいだけだから」がバッドエンドで、
「行動には色々なリスクが伴うが、
やってよかった。少し世界は変わったし。
(あるいは劇的に改善した)」
がハッピーエンドで、
「行動は世界を変えたが、
逆にこのような悪い面が表面化して、
プラマイでいうと0だ」がビターエンドである。


現実の人生でもわかるように、
行動して世界を良くすることなんて、
なかなかない。
多くは徒労にすぎず、世界がうまくいくことは滅多にない。

だから、物語の中のハッピーエンドを、
皆が見たがるのだ。

自分は出来なかったけど、
出来た人がいるんだなと。


昔野球部をしていたが引退してしまった人が、
プロ野球を見て、夢の続きを見るようなものだろうか?

あるいは、野球をしてみたかったけど、
出来なかった人が、プロ野球を見たがるようなものだろうか?

そこまで意識的でないにせよ、
人の行動からの成功は、
見ていて清々しいものだ。

物語で唯一最低限のルールを定めなさい、
と言われたら、いくつか回答があり得るだろうが、
僕は、
「行動による成功」と定義すると思う。


「言ってるだけで成功」に人は憧れる。
ひろゆきとかホリエモンとかね。

そもそもひろゆきは2chを開設した、
行動した人で、そのあと適当なことを言ってるだけだ。
ホリエモンだってライブドア社長で、
それを育ててきた行動した人で、
余生でごちゃごちゃ言ってるだけだ。

行動して成功した人だけが発言権があるのかもしれない。

行動もせずにうじうじしてるやつは、
一生日が当たらないのだろう。

だから、行動に憧れるのかもしれないね。



主人公の主な行動は、何回あるべきだろう?

一回じゃ済まないよね。
最初に起こした行動の波紋に対して、
どのような処理をするかだからね。
じゃあ二回?
そんなピシャリと収められる?
二回目の行動に対して、また周りが色々やってきて…
それに三回目の行動で対処して…
と、
ループがはじまるはずだ。

展開とはつまり、
n回目の行動と、それに対する相手の行動のことなのだ。

将棋やゲームに例えるのもよくわかるね。
ただしターン制じゃないけどね。


nはいくつ必要だろう?
5分に一回行動すれば、120分なら24回だね。
10分に一回行動すれば、12回だけど、
これは少ないと思う。
「話が動かねえな」ってなるもんね。

ということは、
12〜24の間の回数、行動を考えればいいわけだ。

そのいくつかは自動的な反応だろうけど、
そのうち何回かは、「たったひとつの冴えたやり方」であると、
話が面白くなってくるだろうね。

そしてその行動は、
世界を変えて、世界を良くするんだろうか?
ハッピーエンドを書くのがどれだけ難しいか、
よくわかるだろう。


行動は世界を変える。
チャレンジは世界を変える。

そう抽象的に言うのは簡単だ。

実際に12〜24回の行動をして、
世界を変える様をつくるのは、どれだけ大変だろうか。

まあ、だから物語はおもしろいのだ。



極論、
物語とは「行動による成功のシミュレーション」である。
人生で実際に成功してる人は、
あんまり物語を見ないかもしれない。
物語を見る人は、成功童貞であり、
その成功ファンタジーとして、物語を摂取してるかもしれない。

じゃあ変な位置におっぱいがあるエアセックスではだめで、
精巧な成功のシミュレーションであるべきだろう。

現実社会を舞台にしたフィクションがつまらないのは、
「そんな成功現実にはないよ」があるからだ。
極端なファンタジー世界ならば、
行動による成功は描きやすい。
ただ、ファンタジーだけだと足が浮いてるので、
その間が、おもしろいストーリーの対象になるだろう。

その世界で、12〜24回の行動によって、
成功して世界が良くなる様を、つくればいいわけだ。
posted by おおおかとしひこ at 07:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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