何も失敗せずに、成功することなどあるのだろうか?
これまでの人生を振り返ってみると、
何もかも成功して、完全に成功するような、
ラッキーの針の穴が全て通ったような成功は、
何回かはあったかも知れない。
逆にそれしか成功がないか?
そんなことはないと思うんだよね。
色々な失敗はあったけどさ、
トータルで見れば成功と言えるんじゃないか、
というのが、
人生におけるリアルな成功というものじゃないかと思う。
だから人は反省会をして、
次に生かして人生は続くんだけどね。
で。
そういう、リアルな成功を描くだけだと、
物語がもっている、
ふわーっと現実から浮き上がる瞬間を作ることは難しい。
堅実な成功は、堅実なフィクションになってしまい、
ケレン味や毒が足りなくなる。
ということで、最初に出した成功パターンを織り交ぜるとよい。
つまり、
何もかもが、全部いいタイミングで整い、
あとはこの道を目をつぶって走るだけ、
みたいになる成功の仕方だ。
人生においては、偶然そういう奇跡の道が現れることがあるけど、
フィクションにおいては、
ご都合主義すぎてげんなりするだろう。
だからこの二つを組み合わせる。
これまでの堅実な計画は、
すべてはこのクライマックスの、
お膳立てを整えるためにあったのだと。
そうすると、
信賞必罰がきちんと描けて理性で納得できるし、
これまでのことが奇跡のようにつながって、
感情的にもうわーっと盛り上がるわけである。
これをクライマックスに使うことがひとつと、
もうひとつテクニックがあって、
最大の悲劇でこれを使うことだ。
つまり、
いくつかのお膳立てが、これまでの行動によって整った。
そして偶然にも雨が降ったり風が吹いたりして、
成功のための条件が整った。
奇跡の道が現れて、これを行くしかない。
ここまではうわーっと盛り上がる。
そして起伏、
一番いいところで、最大の失敗をさせるのである。
失敗は悲劇であり、
後に尾を引くことになるだろう。
取り返しのつかない失敗の方が時間軸では面白いから、
誰か死んだり、
何かを失ったり、
燃えてなくなったりするといい。
つまり、最大の成功目前ポイントから、
最大の悲劇へ一気に転落させるといい。
これはつまりジェットコースターで最も落差のある部分で、
ここで感情的に振り回されたことで、
のちのちをどう楽しめるかが決まるわけだ。
漫画「ベルセルク」での最大の悲劇「蝕」は、
まさにここで、
これがあったことで、のちの物語の駆動力になっている。
惜しむらくは作者の急逝で、
本来ここから人力で、
すべてのお膳立てを整えて、
たった一本の奇跡の道をつくることこそが、
クライマックスになっていったのになあ。
つまり、
成功のスパイスは悲劇だ。
スパイスというよりも、下味、出汁といってもよい。
成功がギターだとしたら、
悲劇はドラムとベースである。
これがあってはじめてウワモノは光り輝くのだ。
成功を描こう。
なぜ成功したのかを描こう。
偶然が味方するのはNGではないが、
他人が偶然だけで成功するショウを見たいかい?
すべての要素を人力と努力で固めて固めて、
偶然も味方をしてきて、
いけると思った瞬間に最大の悲劇があり、
成功から失敗のどん底に叩き落とされ、
それでも間違ってないことをやり続けて、
再び歯車が噛み合い出して、
ついに最高の舞台にたどりつき、
前回の反省を生かして、
すべての要素を人力で用意して、
その人力で偶然の介入をゆるさないまま、
奇跡の一本道をつくって、
一気に駆け抜けるほうが、
おもしろいよね。
つまり、悲劇は起こる。
悲劇はハッピーエンドの伏線であり、
悲劇はハッピーエンドの原因である。
行動による成功を描くためには、
悲劇が原因でなければならない。
2022年08月22日
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