2022年08月22日

悲劇は、起こる

何も失敗せずに、成功することなどあるのだろうか?

これまでの人生を振り返ってみると、
何もかも成功して、完全に成功するような、
ラッキーの針の穴が全て通ったような成功は、
何回かはあったかも知れない。

逆にそれしか成功がないか?
そんなことはないと思うんだよね。


色々な失敗はあったけどさ、
トータルで見れば成功と言えるんじゃないか、
というのが、
人生におけるリアルな成功というものじゃないかと思う。

だから人は反省会をして、
次に生かして人生は続くんだけどね。


で。

そういう、リアルな成功を描くだけだと、
物語がもっている、
ふわーっと現実から浮き上がる瞬間を作ることは難しい。

堅実な成功は、堅実なフィクションになってしまい、
ケレン味や毒が足りなくなる。

ということで、最初に出した成功パターンを織り交ぜるとよい。

つまり、
何もかもが、全部いいタイミングで整い、
あとはこの道を目をつぶって走るだけ、
みたいになる成功の仕方だ。

人生においては、偶然そういう奇跡の道が現れることがあるけど、
フィクションにおいては、
ご都合主義すぎてげんなりするだろう。

だからこの二つを組み合わせる。
これまでの堅実な計画は、
すべてはこのクライマックスの、
お膳立てを整えるためにあったのだと。

そうすると、
信賞必罰がきちんと描けて理性で納得できるし、
これまでのことが奇跡のようにつながって、
感情的にもうわーっと盛り上がるわけである。

これをクライマックスに使うことがひとつと、
もうひとつテクニックがあって、
最大の悲劇でこれを使うことだ。


つまり、
いくつかのお膳立てが、これまでの行動によって整った。
そして偶然にも雨が降ったり風が吹いたりして、
成功のための条件が整った。
奇跡の道が現れて、これを行くしかない。

ここまではうわーっと盛り上がる。
そして起伏、
一番いいところで、最大の失敗をさせるのである。

失敗は悲劇であり、
後に尾を引くことになるだろう。

取り返しのつかない失敗の方が時間軸では面白いから、
誰か死んだり、
何かを失ったり、
燃えてなくなったりするといい。

つまり、最大の成功目前ポイントから、
最大の悲劇へ一気に転落させるといい。

これはつまりジェットコースターで最も落差のある部分で、
ここで感情的に振り回されたことで、
のちのちをどう楽しめるかが決まるわけだ。

漫画「ベルセルク」での最大の悲劇「蝕」は、
まさにここで、
これがあったことで、のちの物語の駆動力になっている。
惜しむらくは作者の急逝で、
本来ここから人力で、
すべてのお膳立てを整えて、
たった一本の奇跡の道をつくることこそが、
クライマックスになっていったのになあ。


つまり、
成功のスパイスは悲劇だ。
スパイスというよりも、下味、出汁といってもよい。

成功がギターだとしたら、
悲劇はドラムとベースである。
これがあってはじめてウワモノは光り輝くのだ。


成功を描こう。
なぜ成功したのかを描こう。

偶然が味方するのはNGではないが、
他人が偶然だけで成功するショウを見たいかい?

すべての要素を人力と努力で固めて固めて、
偶然も味方をしてきて、
いけると思った瞬間に最大の悲劇があり、
成功から失敗のどん底に叩き落とされ、
それでも間違ってないことをやり続けて、
再び歯車が噛み合い出して、
ついに最高の舞台にたどりつき、
前回の反省を生かして、
すべての要素を人力で用意して、
その人力で偶然の介入をゆるさないまま、
奇跡の一本道をつくって、
一気に駆け抜けるほうが、
おもしろいよね。


つまり、悲劇は起こる。

悲劇はハッピーエンドの伏線であり、
悲劇はハッピーエンドの原因である。

行動による成功を描くためには、
悲劇が原因でなければならない。
posted by おおおかとしひこ at 02:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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