悲劇をどう乗りこえるかは、
物語の最大の山場のひとつである。
当然、それはテーマの近傍にいるわけだ。
その悲劇は、最初に行動を起こしたから起きたのだ。
直接の原因ではないかもしれないが、
主人公がその旅に出たからこそ、
その因果を招いたといえる。
つまり、その悲劇はもともと主人公の責任である。
言いだっしぺにならなければ、
そのことは起きなかったのだ。
それが不可避のものであろうが、
避けられたものであろうが同じで、
悲劇こそ主人公の起こした因果の結果である。
だからそれを悲劇のままに終わらせてはならない。
主人公の行動の意味がなくなってしまうからだ。
悲劇は乗り越えなければならない。
それをどう乗り越えるかが、
その乗り越え方が、
主人公の価値、
すなわちテーマと関係あるのはある意味当然だろう。
じゃあ、逆算で、どう乗り越えるかをテーマからつくっておいて、
その乗り越えられるような悲劇をつくり、
その悲劇は最初に主人公が行動したゆえに起こるようにつくり、
主人公が行動せざるを得ないように、
最初の事件を起こせばいいわけだ。
逆算の逆算の逆算ではあるものの、
テーマからつくると、
自然とこういうことになってくるわけだね。
もちろん、最初からここまで構造化されてつくることが出来るか、
というと非常に難しいと思うので、
最初からここまで作りこまなくてもいいだろう。
それよりも思い付き、やらないといけないことはたくさんある。
しかし、
最終的に、
この悲劇こそが、この乗り越え方こそが、
テーマになってくるように、
整えないといけなくなるだろうね。
その最大の悲劇を、どう乗り越えるのか?
主人公はどう行動して乗り越えるのか?
その在り方そのものが、
物語の主軸に絡んでくることになるわけだ。
「トップガン」(1)では、
親友グースの事故死が最大の悲劇ではあるが、
マーヴェリックはこれを乗り越え、
実戦に出ることになる。
何のためか? 国を守るためである。
つまり「国防」がトップガンのテーマのひとつだったりする。
あの時代は冷戦時代だから、
国を守ることすらもテーマのひとつになった。
だけど、軍国主義とか、国粋主義とかの深刻なものにならず、
カリフォルニアの陽気さでまとめたあたりが、
トップガンのアメリカ映画としてのノリノリの部分であったと思う。
要するにトッブガン(1)とは、
「国防は陽気にするべきだ」というのがテーマだと言ってもいいくらいだ。
大日本帝国とはずいぶん違う原理でものごとが動いていることよ。
その陽気さ、明るさこそがアメリカの強さで、
だからトップガンは大流行したんだよね。
そんなものなかったもの。
ライバルだったアイスマンと組むことになる、
というピッコロと共闘かよ、みたいな展開も熱かったなあ。
こうして、どう悲劇を乗り越えるかが、
テーマに絡んでくるわけだね。
ちなみに2はどこだろうか。
教師を解任されたところかな。
そこからどう乗り越えるかが、
2のテーマにも絡んでいるようにも思う。
それは国防という抽象的なものではなく、
個人の行動や責任というものだと思われる。
1から2まで30年あったけど、
悲劇の乗り越え方で、
時代が分るというものだ。
映画とは、このような、世間と一体になっているべきものだと思う。
まあ、そこまでいかなくてもよいので、
悲劇をどう乗り越えるかを考えるときに、
それがテーマと直結するぞ、
というのはストーリーテラーとしては、
直感的に予感できないといけないよね。
最も暗い井戸から、
どう最も明るいところへ行くのか。
それはハッピーエンドの原動力になる。
主人公は何を経験して、
どうひとつ強くなるのだろう。
2022年08月25日
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