2022年08月17日

笑った

たしかに。
https://twitter.com/megaGODZIRA/status/1559508714809282560?s=20&t=C94SnXjWnkNbIJ99Q7_MNg

続編で主要登場人物を殺す(または再起不能など)のが、
なぜ許せないか考えよう。


まず正編の出来が良かったから、
というのは前提。
つまり正編を完璧なものとした場合、
登場人物の退場は、
完璧を欠けさせる行為になる。

だから不愉快だと思う。

たとえば卒業した高校が、
完全になくなるならまあ気持ちも楽になるが、
体育館だけ取り壊すとしようか。

なんか微妙な気持ちになると思う。
それと同じ。

完璧な記憶は、改変を許さないのだろう。


もうひとつあって、
続編は正編より出来が悪い。
(奇跡の例を除く)

だから、続編でやることがなくなるから、
登場人物を退場させることで、
ショック量を稼ぐ、
という安易な手を取りがちだ、ということ。

僕は漫画風魔の小次郎第三部で、
霧風と小龍の退場に納得していない。
安易すぎると思った。

安易に稼いでんじゃねえよ、
というこの気持ちは、
続編では正編以上の労力をかけて、
より面白くするべきである、
という無意識の期待がある、
ということがわかるね。


まあそれなりに沢山物語を見てきたから、
かつてほどの嫌さは感じなくなったが、
僕は作者の安易さのほうが気になるようになったかな。
posted by おおおかとしひこ at 12:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「スピンオフ」と銘打つ作品が増えたのは、
 ・正編のコンテクストを借り
 ・成功した正編に敬意を払い
 ・続編ほどではないよ、という保険をかける
と、製作費との釣り合いが取りやすいから、という事情もあるでしょうか
Posted by しいな at 2022年08月20日 20:59
>しいなさん

> ・正編のコンテクストを借り
ここだけで制作スタートする
(プロデューサーの仕事)ことが多いです。
で、
> ・成功した正編に敬意を払い
> ・続編ほどではないよ
をやれるディレクター、脚本家を、
プロデューサーが呼んで来れず、
枠組み的には行けてるものの、
内容的に爆死しているものが多いです。

土地を買って、そのあと建物を別の人がつくる仕組みだからでしょう。
この仕組みの問題はかなりあると思いますね。
(ハリウッドはディレクターや脚本家がプロデューサーを兼ねることがちょくちょくあるけど、
日本でプロデューサーはまったく別の仕事と思われている。
プロデューサーは基本的に起業家なので、
日本の起業のしにくさと関係していると考えられます)
Posted by おおおかとしひこ at 2022年08月21日 07:25
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