とある芸能マネージャーと深く話したのだが、
芸能人はなぜ仕事をしてるのか、
という話がおもしろかった。
(あくまで担当タレントの場合で、
多くに当てはまるかどうかは知らない)
ざっくりいえば、
「人気者になりたい」らしい。
クラスの上位者、人気者の続きをやっているようだ。
だから、
最上の姿は、
ただ黙って座ってるだけでみんなが集まってきて、
いろんなものをくれたり生活の保証をしてくれること、
だろうか。
もちろん色んなことをやってみんなが褒めてくれる、
のも理想だろうね。
だけど、ただ突っ立ってるだけだとあれだから、
しゃべりが上手くなるとか、
独特の考えを持ってるとか、
一芸を披露するとか、
そういうことでキャラ付けしていくわけだ。
そのひとつに、
歌、ダンス、モデル、俳優、
などという「出し物」があるようだ。
目的は自分の人気を上げるためである。
だから、出し物の質は、
最高でなくてよいという甘えがどこかにある。
もちろん、ジャニーズのような、
徹底した出しものをやる人々もいるが、
あそこまで出し物にストイックになれているタレントは、
あまりいないだろう。
僕はストーリーをつくり、表現する、
という側の人間だから、
ストーリーは世界を変えるべきだと考えている。
人気者になるかどうかはどうでもよくて、
ただ世界を良い方向に変えたい。
下らない常識はぶちこわして、
次の新しい世界を構築したい。
それと、エンターテイメント性をどう両立させるかが、
物語のやるべきことだと考えている。
俳優はだから、ストーリーのパーツで、
ストーリーを語る全体の一部だ。
指揮者とオーケストラの関係である。
僕は俳優に、本気でそのキャラとして生きてほしいと思う。
そのキャラはやらないことで、タレントがやることがあったら、
タレントにはやらないでほしい。
ただそのタレントの長所は生かした方が面白くなるならば、
出来るだけ長所は出してほしい。
つまり、
出し物レベルで僕の現場に来て欲しくないわけだ。
本気でそのキャラとして生きるべきで、
それは世界を変えるものの機能する一部になってほしいし、
下手したらそのタレントの長所を消費することになるかもしれないのだ。
(その後同じことをやったら、
「あれをまたやるの?」と言われて、
封じられてしまうということ)
それと、
人気者になりたいゆえに、
出し物100をやる中のひとつ、
と考えて現場に来るタレントとは、
僕は水と油だなと思った。
昔なら大喧嘩してソリが合わんと言ってただろうが、
呉越同舟のバチバチがマッシュアップになることを学んだので、
喧嘩できる相手と会えることは、
実はなかなかにうれしかったりする。
一方、俳優バカ役者バカというのがいて、
僕と同じ側の役者も世の中にはいる。
そういう人は大体僕の同志感が強い。
出し物レベルの学芸会になるか、
本気で世界を変えるものをつくるか。
僕は学芸会レベルでやってきたタレントを、
本気にさせるのが好きだ。
彼ら彼女らはもともと何かを持っているから、
それを引き出して本気にさせたら、
学芸会以上の何かになることを知ってるからね。
前者が邦画やドラマに学芸会蔓延したことで、
衰退が進んだような気がする。
本気でやろうとした監督たち、脚本家たちが、
学芸会レベルでいいんだよという、
マネージャーたちに潰された形になっている。
その象徴が、雛壇バラエティだ。
あれは「クラスの続き」だと思う。
みんな本気で人生に悩んでなかった、
理想のクラスで、そこで人気者レースをやってるだけだ。
その理想をつづけながらも、
本気で世界を変えることをやりたいと思ってる芸能人は、
少しはいるんじゃないかと思う。
事務所を退所して一人でやりはじめる芸能人が増えたのは、
そんな流れの象徴であるような気もする。
僕らは、
本気で世界を変えたい出演者に、
本気で演じて世界の一部になれるような、
シナリオを提供して、
一緒に世界を変えるために戦うべきだ。
9月中旬に、世間の評価が腰掛け出し物レベルのタレントに会う。
その人が本気で何かをやりたいと思ってるなら、
しごいて追い込むし、
腰掛けレベルで他の仕事の合間にそれをやるレベルなら、
追い込んで本気を出させないとなあと思っている。
いずれにせよ追い込むのか。
監督は怖いと言われるわけだなあ。
2022年09月01日
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