芸術の効用のひとつは、新しい価値観を示すことだ。
これまでに考えられてきた価値観を崩して、
まったく新しい価値観、世界へ連れていくことで、
世界はこう変わるべきだ、これのほうがよい、
と示すことである。
(これだけが目的になってはいけない。あくまで結果の話)
これをやるには、大きくは二通りある。
一つ目は、
まったく新しい価値観Aを、
そのまままるっと示すことである。
それが存在するだけで新しく、
世界を変えることがまれにある。
新スター誕生とは、そうした瞬間だろう。
藤井聡太が将棋の概念を少し変え、
新しい価値観を示しているのは、こうした感じだと思う。
(もともと終盤の詰めが常人離れしていることと、
AI将棋から新しい定石を工夫して、
ふたつを組みあわせて詰みに持っていくこと。
ざっくり言えば勝利からの逆算に、早い段階から新定石ルートでたどり着くこと)
これが新しく、価値があるという証明は、
「勝利する」ことで示せる。
この考え方が有効であるのは、現実でもそうだと証明することでしか、
この価値の有効性を示せない。
芸術はこのやり方はなかなか難しいと思う。
価値の有効性の実証が、
「見ることで感じる」に委ねられているからだ。
それが明らかに新しく、価値があったとしても、
人はなかなか認めない。
新しすぎてビビる、というのもある。
「これでいいんだろうか」と不安になるわけだね。
リアルな現実であればその価値が有効であることを、
たとえば将棋なら示せるし、
政治ならばその政策の実現と遂行で、示すことができる。
だが芸術は、見たり体験するだけだ。
それだけで、どんなにあたらしい考え方を示しても、
なかなか人に影響を与えることは難しい。
一部の人に影響を与えることはできる。
芸術に敏感な人たちだ。
音楽で涙を流して人生が変わる人もいるし、
絵一枚でその後の人生が変わった人もいるし、
ファッション写真で人生が変わった人もいるし、
小説や映画一本で生き方そのものを変える人もいるだろう。
だがそれは万人ではない。
少なくとも過半数ではない。
だから、二つ目の方法が有効だ。
二つ目の方法は、
「従来の価値観Bを否定して、Aが有効だと示す」
である。
比較対象を持ってくることで、
二つの距離感を示すわけだね。
Bの否定の仕方にはいろいろあって、
「あなたの常識は間違っていた」というのがいちばん強いかもしれないね。
「あなたの洗濯の方法、間違ってますよ」
なんて新洗剤の広告はよくあるよね。
これまでの基盤になっている考え方が間違っているとわかれば、
どうしていいかわからず、不安になる。
そこでこれが正しいのだ、と安心させると、
人はそこに飛びつく。
半信半疑から確信に至ったとき、
人は考え方を変え、新しい価値観を受け入れるだろう。
もはやネットは当たり前すぎて、
それ以前の価値観を思い出すことはむずかしくなっているけど、
ネットという考え方が浸透していくのは、
旧来の価値観がひっくり返される瞬間がいくつもあったからだろう。
ツイッターの流行には、東日本大震災がある。
あのとき電話が通じなくなったから、
緊急用の通信手段としてツイッターが有効だった。
「通信インフラは途切れることもある」という、
常識が覆される現象があったからだ。
あるいは、
テレビは信用できなくなったから、
真実の情報がネットにあるとみんな思った。
「テレビは真実を報道して中立である」という常識が、
忖度報道、報道しない自由の行使によって、
覆されてしまったわけだ。
従来の常識Bをひっくり返すのは強い。
天動説から地動説への転換は真逆だから強いのだ。
つまり、新しい価値観Aと、従来の考え方Bが、
真逆であるように、
前提Bを持ってくればよいわけだ。
「みなさんが当たり前だと思っているB、
実は間違っているんですよ。
実際はその逆、Aが正しいんです。
その例を今からお見せしましょう」
という風になっていれば、
驚き、誘引し、説得可能になるわけだ。
これは多くの交渉術に使われている、
共通のやり方でもあると思う。
詐欺師は、常識のひっくり返しパートがうまく、
Aの実証で嘘をつくことが多い。
その実証こそが大事なのだが、
常識をひっくり返された人は、
不安になるため、誘導されやすいんだね。
「癌治療は間違っていた」
「健康法は間違っていた」
なんて常識をひっくり返すのは簡単だ。
それは不安に陥れるためのテクニックであることを、
よく観察しておこう。
なにせ我々は詐欺師以上にうまくなければならないからね。
結局実証部分、確認する部分がちゃんとしていないと、
詐欺になることさえ分かっていればいいかもしれない。
このやり方の変形版はいろいろある。
「従来の常識Bは毎回正しいとは限らず、
Aが有効な場面もある」という程度に弱めたもの、
「Bも正しいし、Aも正しい」という真理をひとつに絞らないもの、
「ABこだわりを捨てればよい」というもの。
でもこれらがどんどん弱くなっていくことは、
よく分るだろう。
つまり、
常識を削り取る面積、
そこに陣取る新しい価値観の面積が、
その新しい価値の絶対値であるといえる。
どれだけ旧来の価値観をひっくり返せるか、
どれだけそこに居座り、新しい地位を確立できるか、
が、
新しい価値観Aを広める方法というわけだ。
さて、そのAこそが、
物語におけるテーマである。
僕は、テーマは「PはQである」のような、
テーゼ(証明可能な命題形式)で書くべきだと考えている。
それは「新しい価値観」の形でもあるわけだ。
となると、テーマの逆からはじめて、
テーマに帰着する形が最善であるわけだね。
そのテーマの逆が、
「従来常識と思われていたことだが、
実は間違っていた」となると、
世界がひっくり返る、面白い物語になるわけだ。
もちろん、そのあとの実証部分がきちんとしていないと、
信用されない詐欺師になってしまうわけだね。
「間違っていた」までは誰でも書ける。
じゃあこうだ、というのが説得力あるように書けるか、
しかも主張形式ではなく、
物語形式で、
というのが、我々作家に課せられた使命であるといえるだろう。
新しい価値観Aを、
ただ振り回せば、ただの青年の主張になるだろう。
そうではない。
物語として工夫し、
自然とAだな、とみんなが思うように、
説得力があり、感情的にも納得するように、
書かなければならない。
なんなら大爆笑して感動するようにだ。
あなたのその物語での価値観A
(これはあなた自身の人生の価値観Xと、
異なるべきだというのが僕の主張だ)
は、
どのようなもので、
それがどのように否定する価値観Bと、
関連するのだろう。
世界を変えることは、
常識Bを削り取り、
そこにただしいAを根付かせることだ。
その大きく変えたものが、名作扱いされるわけだ。
Bを削りとった大きさと、
埋めたAの大きさでそれは測られ、
その妥当性で、新常識に置き換わる。
あなたの物語には主張Aがあるだろう。
なぜそれが妥当だと思うのだろう。
反論Bを、どう変えるだろう。
(Bはひとつとは限らない)
2022年09月02日
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