そういえば雷鳴のザジは、
白い墓から抜けたザジの、
抜け忍ストーリーであった。
抜け忍側と追う側との、立場違いが無明帖ともいえるか。
時代劇としての忍者ものは、
忍者が非人間的な育てられ方をする
とてつもない無理なミッションを成功させる
多くの仲間が死に、理不尽さを感じさせる
狂っているのは忍びだけではない、
普通の人間も狂っている
抜ける、追う、追われる
権力闘争と忍び集団との齟齬
別の違う集団と出会い、価値観を揺さぶられる
ライバルと味方
などなどのパターンがあると思う。
その中でも抜け忍ものは、
独特の地位があり、
サスケ外伝はとくに抜け忍vs追っ手だけに絞ったストーリーであった。
雷鳴のザジはおそらくここからヒントを得た作品で、
「ただ忍者ものだとつまんないから、
学園ものに融合しようぜ、
忍者が立ち寄って仲良くなってしまう農村の人々、
みたいな感じで転々と転校するのはどうだ、
そこに追っ手が来て、
いつもの必殺技バトルになるんだよ」
というアイデアを盛り込んだものだと思う。
一方無明帖は、
「今度は追う側のストーリーを」
と思い付いたんだろうかね。
飛龍覇皇剣の最初の犠牲者の話、
ということまではいいと思うんだが、
いかんせんその彫り込みが前編では足りないので、
もう少しトビの話を見たかったねえ。
トビというからには飛び回るのがうまいのだろう。
そこに正確に心臓を刺せるのか、
が武蔵のテーマになって来るのだろうか。
そうそう、
こうした、「技のぶつけ合い」みたいなことを楽しみにするのが、
忍者ものの楽しみの一つだ。
ブレイクキャノンのケイなんて、
なんだこのトンデモ武器は、なんて思いながらも、
車田正美の圧倒的な画力でなんとか成立させてたんだよなあ。
そういう意味では超人プロレスだって同じなんだよね。
キン肉バスター破りの、
「6をひっくり返せば9になるー!」なんてのは最高だったなあ。
その少年漫画的な、対決ものとしての面白さを、
雷鳴のザジは追求したのだろう。
(ネタ切れで中座したのかしら)
せめてトビの必殺技がわかってれば、
後編の対決編を楽しみに出来たのだが…
そういえばザジの必殺技ってなかったよね。
回復力と拳だっけ。
展開していたら、ザジの回復力の秘密や、
それを無効化する薬なり武器なりが出てきて、
さらなる強化イベントなどもあったのだろうか。
忍者ものには、様々なストーリーのパターン(母型)が、
先人によって開発されてきた歴史がある。
それを上回れるかは後編次第だろうなあ。
忍術なんて基本なんでもありだから、
バトルものの元祖になり得たわけだ。
超人プロレスなんてブラックホールで吸い込んで、
屁こいて出て来るんだぜ。
それくらいフリーダムな世界だと思う。
なんでもありの車田の、
真骨頂を後編に期待したい。
令和に媚びずに、貫かれた昭和を期待したいな。
(追記)
そういえばザジは母に会うために抜けたのであった。
そのへんは氷河の、
冷たい海に沈み遺体が腐っていない母に、
毎日花を手向けにいくあたりに進化したんだろうかね。
そういう意味で、
星矢ってそういう主人公格の集大成だったから、
面白かったのかもしれない。
紫龍は総帥ないし竜魔、瞬は河井ないし項羽ないし霧風、
で氷河がザジか。一輝が武蔵なのは見てわかるので、
星矢だけが平均的な主人公像だったんだなあ。
うっかりアイオリアやシャカなんてさらに主人公格が増えてしまって、
ライトニングプラズマはギャラクティカマグナム以来の発明だと思ったがねえ。
それに匹敵するのが海闘士にいなかったのが辛かったのを思い出す…
2022年08月22日
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