2022年09月04日

アングル

プロレス用語である。
カメラの画角や構図の意味でのアングルとは異なる。

ある試合のテーマを決める(なんなら、創作する)こと、
といえるだろう。


ある試合があるとしよう。
AとBの対決である。

ただどっちが勝つか、だけだと普通の試合なので、
「この試合は特別な試合である」
というなにかを持ち込む。

○○の仇打ちである、
かつて親友だったがお互い別の団体にゆき、
お互い最強になって帰ってきた、
○○という侮辱発言があり、絶対許せねえと怒っている、
6試合やって結果はイーブン、次で本当にどっちが強いか決まる、
師弟関係の試合、若武者は独立をかけて挑む…

などなどがよくあるやつかなあ。

これを「アングル」という。
こういう構図でこの対決を見てください、というやつだ。

アングルはPRIDEがめちゃくちゃ面白かった。
「ハイキックは実戦では使えないという話なのに、
総合でそれを必殺技にした男、ミルコ」
「ハイキックなんて当たらなければよし、
捕まえてマウントで殴ればOKのヒョードル」
「喘息を克服して超人的肉体に憧れた男、美濃輪」
「最強のグレイシー狩りを果たした、桜庭」
「爆弾膝小僧、桜庭のライバルシウバ」
などと、技術論でアングルを作って行ったのがうまかった。

総合格闘技のなんでもありさを、
ストーリーではなく技術論でアングルにしたのがうまい。


いつだったかWWEで、
悪の経営者を倒すためにそいつをリングの上でリンチにしようとしたら、
そいつも強くて試合になるとか、
その経営者の妻が主力選手と不倫して、
みたいなめちゃくちゃなストーリーのアングルをやってたときが、
結構面白かった記憶がある。


僕は常々、映画のクライマックスはじゃんけんでもいいと言っている。
そこまでに積み上げた思いやストーリーがあれば、
決着の方法自体は実はなんでもいいと。

たっぷり時間をかける必要もない。
だってかつての西部劇は、
背を向けて三歩歩き、振り向いてガーンって打ったら決まってたんだぜ。
命を賭けた試合で決まるようにストーリーを持って行けたら、
あとはその「試合」に興奮するだけなのだ。

だから、試合のやり方自体はガワなんだよね。
カンフーで戦おうが、
アメフトの試合だろうが、
レースで決着をつけようが、
全国大会決勝戦だろうが、
無観客だろうが、
場末の掴み合いだろうが、
卑怯の塊の対決だろうが、
なんでもいいのだ。
これはマクガフィンなんだよ。

試合の中身は、アングルなんだよ。

勝った方が正しいと認められるから、
中身の勝負になるんだ。

正義と悪の戦いはそういうことだ。

仮に、
「セクハラOK」vs「セクハラ絶対禁止」
のアングルで、
勝った方がこれから正しい価値観だと人類は認める、
という試合があったとしよう。

OK派が勝ったらセクハラし放題の世界が待っていて、
禁止派が勝ったらものすごく窮屈な言葉狩り世界になる。
自由主義の末路ともいえるし、ナチスの再来とも言える。
どっちが勝っても(物語的に)面白い世界になりそうだ。

だからこれは、試合の仕方さえフェアならば、
中身の価値観の戦いになるわけだ。


アングルとはつまり、
プロレスのガワに、ストーリーという中身を創作する行為なんだよね。

これは脚本家の仕事であることが、
よくわかると思う。


政治家は、選挙の時にこうしたアングルをつくれば、
もっと大衆を沸かせることができるのに。
山本太郎はそれをやりかかっているが、
まだ中途半端だな。
もちろん、これが世界で一番うまかったのが、
アドルフヒトラーだ。

彼は「戦争の意義」というストーリーを創作したんだよな。
悪役は、金貸しで嫌われていたユダヤ人だ。

我々シナリオライターは、
どうアングルを作れるか、
という面白いストーリーを捻り出すわけだ。

それが何のために使われるかは、
熟慮すべきだけどね。
嘘の勝利のために、アングルを使うべきかどうかは、
それぞれの心の裡で決めればよい。


あなたのストーリーのアングルはなにか?

つまり、
そのクライマックスはどのAとBの試合で、
AとBの主張はなにで、
どういう主張の争いで、
勝てばどの主張が通るのか?

明らかに正しいものvs明らかに間違ってるものだと、
正しいものを応援したくなるだろう。

どちらが正しいと言えなくても、
アングル上争点が発生する。
その争点の面白さが、ストーリーの真ん中の面白さだ、
と思って良いのでは。
だってそこで主人公の勝利を信じて、
ハラハラと見守るのが映画だからね。

(ゲームはそれを自分でやるから面白いのだろうが、
ゲームは行為自体を楽しむだけだから、
アングルがなくてもOKかもしれない。
ところがここにアングルが入ると確実に面白くなる。
これに気づいたeスポーツが、伸びると思うよ。
かつてのAKBのじゃんけん大会や総選挙の勢いは、
アングルの勢いでしかなかったわけだ)


逆に、
アングルありきでストーリーを逆算で作ればいいんだよ。
ラストの試合を先に決めて、
それが何と何の争いになるのか、
決め切った上で、
頭からその勝利と絶望の明暗に向けて、
ゆっくりとスタートすることを考えるわけだ。

たとえば「シグルイ」という漫画は、
そのような計算で構成されているわけだね。

シグルイは分かりやすい御前試合であったが、
別にそれはなんの戦いでも構わない。

トップガンマーヴェリックでは、
西側諸国vs仮想敵国という、
現実の構図を反映したロシアっぽい敵であった。
また、
敗北したときのダメージがデカく設定されていて、
「誰一人若者を死なさずにミッションを成功させる」
ことにフォーカスを当てているのがうまかった。
アメリカ自由主義の勝利、
という積極的なアングルではなくて、
「この幸福な世界の維持」
というようなアングルであったと思う。

だからトップガンマーヴェリックのラストは、
勝利の美酒ではなく、
「今が最高という確認」なんだよね。
現状肯定することが今の観客に刺さると感じている、
トムクルーズのプロデューサー勘がすばらしい。


アングルはつまり、
今観客がどんな価値観の対決を喜ぶのか、
今どんな価値観の勝利を喜ぶのか、
という探し物でもある。

それが現代的、あるいは今の半歩先のものがあると、
そのストーリーは猛烈に面白く感じるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 03:31| Comment(3) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつも内容と、ずれている感想で恐縮ですが、バイデンのプーチンに対する「人殺しの独裁者で生粋の悪党」呼ばわりの演説もアングルですよね。
Posted by ふじ at 2022年09月04日 11:45
>ふじさん

大義名分はたいがいアングルと言えるでしょう。
まあ言い訳も真実と離れていても機能するわけで。

トランプはアングルが上手かったなあ。
エンターテイメントの要素があった。
Posted by おおおかとしひこ at 2022年09月04日 12:05
確かにプロレス的に見ると、トランプはすごく面白かったです。
Posted by ふじ at 2022年09月04日 12:29
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック