某仕事で、音楽の出来がよくなかった。
音楽屋さん的には「これはまだ仮録音で、
このあとの本録音で100倍良くなります!」
と言われて、そんなには良くならんやろ、
と疑っていた。
で、出来上がった音楽は、1.5倍程度の出来だった。
つまりこれは、主観的努力と、
客観的評価の差である。
自分的には当初の100倍になったと思っていても、
周りから見れば、
まあ多少良くなったね、
にしか見えていないということだ。
客観的に100倍になるって相当だぜ?
名曲ランキングが100位以上上がるってことでしょ?
急にそんなにはならないよね。
ある台本で、素人役者が演じたものがあって、
それをプロの役者が演じても、100倍にはならない。
10倍くらいにはなるかもだけど、
100は盛りすぎだ。
それは役者の過大評価というものだ。
役者を変えるよりも、ほんとうは台本を100倍良くするべきだ。
そしたら、役者の増幅力で1000倍を目指せる。
もちろん、台本を100倍良くすることはできない。
あるものの増幅だけでは、せいぜい1.2倍だろう。
1.5倍に出力を上げるアンプは、
相当歪みが出ると思う。
もし台本を数倍よくしたかったら、
「同じパーツの構成で、各パーツを磨くこと」だけでは足りない。
再構成、足し引きだけでなく、
そもそもの柱の大転換や骨格レベルの工事が必要で、
あるいは目指す方向性も全く変わるかもしれず、
それって別物ってことだ。
つまり、別物のよりよいものを目指すと、
1.数倍の世界から離れられる。
もし100倍努力したのに届いていないと疑問に思うならば、
登る山を変えることを検討すると良い。
でもそれって別物をつくることで、
ほぼほぼ同じ労力を支払うことになるけどね。
あるものを増幅するアンプでは、
1.5もいかないのが相場だね。
あなたの100は、他人から見て1.5。
あなたの努力や成果は届かない。
他人の1.5は、あなたから見て100。
他人の批評や誹謗中傷はものすごいダメージ。
あるいは期待に応えるには途方もない壁を登る必要。
整形を繰り返す人は、
1.00001が100000くらいに見えてるんだろうな。
この、主観と客観の目盛りの差を、
どう理解してるかが、芸術家には必要なのだ。
自分の納得だけではない。
世間の納得だけでもない。
自分と世間の納得の、両方をやらないといけない。
自分の納得は、他人からすると余計なこだわりに見えるかもしれない。
しかし同業者から見て手抜きだとバレるわけにもいかないし、
同業者が度肝を抜かれるものが、時を超える芸術になる資格がある。
他人の納得は、うつろいやすい。
でも火がつけば一気に広がる。
常に誤解と不正確さを持つ、雲のようなものだ。
あなたのたくさんの他人への接し方がそうだろう。
全然細かい区別がつかないし、だけど芯の部分を食いにくる。
100倍よくなりますと言った音楽プロデューサーは、
プロ同士の信頼の基盤、「センス」を、
もっとも疑われる結果となった。
目盛りのチューニングを意識しよう。
今あなたはどこからそれを眺めているか?
2022年09月06日
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