「薙刀式覚えてみようかな」というツイートを見て、
それはまだやったことない人の感覚なんだな、
ってことがわかった。
配列のブラインドタッチはね、「覚える」もんじゃないんだよね。
「出来るようになる」だと思うんだ。
だって頭が覚えてても、体が動かないってことがあるからだ。
もちろん、「体が覚える」
という言葉があるから、
そっちの感覚の話をしたのかもしれない。
だけど、「覚える」という言葉をデフォで使う時は、
「頭で丸暗記する」のほうがふつうだろう。
配列は頭で覚えるものじゃない。
体で覚えるものだ。
なんなら、体で覚えさえすれば、
頭で覚える必要はないのだ。
どういうことかというと、
「駅までの道順」だと思えば良い。
体の感覚として、ルートがイメージできると思う。
しかし地図を書いて知らない人に説明して、
となると急に難しくなる感じ。
あの感覚に近い。
それは「この角を右に曲がって、
次の角を左に曲がり、まっすぐ行って…」
という「頭で覚えること」とは少し違う。
駅まで歩く時、
その覚え方をしていないことに気付こう。
なんとなくこっち、という感覚だけがあり、
あとは無意識に手足が動くだけだろう。
逆に、頭で考えると間違うことあるよね。
工事中で道が変わってて、
あれ、間違えたのかなと別の道をいき、
感覚はあってたわ、ということがよくある。
そういう感覚が、
配列をブラインドタッチで使う感覚なんだよね。
だから、体感覚という感じだと思う。
平衡感覚とか方角の感覚に近い感じ。
だから「覚える」というよりも、
「体を作る」という感覚に近いと思うんだよな。
二つ目の感覚をふくめて「覚える」
と言っている可能性もあるけど、
僕は、二つが未分化な人なんじゃないかと推察した。
逆にいうと、
日本語にはこの二つを区別する言葉がないと思った。
言葉のないところには概念はない感じ。
もともと「習得する」「体得する」が先にあり、
体で覚えることを人類はやってきたのだろう。
農作業や武術はそうだよね。
ところがどこからか、
「頭で覚えるだけでうまくいく」ような、
「知識」というものを人類は発明した。
それに基づいて文明を発展させたから、
知識さえあればOKと考える、
頭でっかちがデフォになった。
字を書くとかブラインドタッチすることは、
それ以前の、身体感覚による技能だということが、
だから隠されて見えなくなってしまってるのかもしれない。
僕は頭で覚えることがほんとに苦手で、
かわりに体で覚えることで、
受験もその後の勉強も乗り切ってきた。
手が勝手に公式を書くまで覚えてきたんだよな。
脳内発声がないから、音では覚えていない。
いつも手の動きで発想をする。
空手を一通りマスターした人に、
「新しく全然違う動きの、合気道をやるぞ」
といえば、
「よし、じゃあその動きを何回かやって感覚を身につけるか」
ってなると思う。
「よし、覚えるぞ」とはならないだろう。
もちろんダンスのような決まった動きでよければそれもありだが、
自由に動き回らなければならないときの対処法の動きは、
ただ覚えただけじゃぱっと無意識でできるようにはならない。
空手でもなんでもいいから、
一通り「体感覚をつくった体験」があると、
ブラインドタッチを頭のことだとは思わないかもしれない。
仮に配列図を「頭で覚える」ことが出来ても、
その配列を使えるようにはまったくならない。
薙刀式でいえば、
脳を介さずに「ある」「ない」が打てたり、
脳を介さずにBS出来たりすることが、
薙刀式を使えるってことだと思う。
頭を経由していては遅い。
配列はだから、指や手や腕の神経に、記憶されているのだろう。
たぶん僕が両腕を切り落としたら、
薙刀式を義手で使うには、
別の学習が必要になると思う。
その訓練を「覚える」とはいわなくて、
たぶん「訓練する」が正しいんだろう。
上位概念は「まなぶ」だろうけど、
この、体で体得する、というのに当たる和語がないような気がするなあ。
出来るようになる、動かせる(ようになる)、
得る、あたりしかない気がする。
ちなみに英語で調べると、
acquireがある。masterでもよい。
もちろん途中だとtrainも使えるだろうね。
この感覚が日本語にないんだよな。
言語の習得は、だからacquireを使ってlearnは使わないそうだ。
さらにちなみに、acquireを英和にすると「ものにする」とあった。
ぎりぎりこの感覚かな。
でも複合語であって、一語にならないっぽいな。
2022年08月25日
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