Twitterで見かけた、小津安二郎「お早う」の中の集合住宅。
https://twitter.com/ichikawakon/status/1563467535315763201?s=20&t=oWzMiz64EUly7YUsiYJ8YQ
どこか現実味がなく、デザインが効いてる感じは、
方向性が違うけど「シザーハンズ」の集合住宅を思い出させる。
このツイート主は実在のものと思ってるっぽいが、
プロの目から見ると「オープンセットかあ、羨ましいなあ」
と秒でリアクションしてしまうので、
どこでそう思うのかを解説してみる。
まずこの住宅が実在するとしよう。
にしては生活感がなさすぎる。
おそらくは日本的な生活臭のしないものが狙いだろうから、
実在の街を借りて、掃除したかもしれないとまずは疑う。
だけどこの白い柵は日本家屋にはありえない、
西洋的なやつだから全部付けたのだろうか、
えらくセットみたいだものなあ、
という時点で、
「これはセットでは?」と疑い始める。
で、よく見ると、窓が開く構造にはなっていないっぽい。
ハメ殺しだ。ますます外面を整えたいだけのセットに見える。
カーテンで中を見せないようになってるのも怪しい。
観葉植物くらい置くだろうに。
ハメ殺しなどこの川沿いの高温多湿の場所であり得ない、
エアコンで全部除湿? いや、室外機も存在しないな。
なぜ川沿いとわかったかというと、
土手が道の奥に見えるからだ。
そもそも白の玉砂利も変だよな。
土手沿いの湿気のあるところに玉砂利なんて、
草ぼうぼうになって下さいと頼んでるようなものだ。
ということで、そろそろ気づくわけだ。
これは土手の内側ではなく、
土手の外側の遊水スペースに建てたオープンセットなのでは?と。
何故なら、土手の内側は他人の土地だが、
遊水スペースならある程度自由が効きそうだからだ。
(当時の緩い土地感覚もあるだろう)
で、その仮説をもって全体図を眺めるとやや縦長で、
土手沿いの土地を利用していることが想像される。
そしてあの程度の鉄塔なら、セットで建てられるだろうと思う。
アングル的な感覚からすれば、
もし電柱や鉄塔がなければ、
家と空との上下二分割の絵になってしまい、
安いセットに見える可能性がある。
絵になるには縦型のものがよく、
それには中空の鉄塔が一番安手だ。
きっと立体ではなく、この角度から見た時だけ鉄塔に見えるように、
平面的に作ればもっと安くなる。
電線は紐を通すだけで空間をつくれるから、
安手の便利セットだ。
(運動会の万国旗とかも安手のセットにしては効果が高い、
コスパの良い空間埋めの材料だ。
幸福の黄色いハンカチも、この原理を利用して派手に見せている)
なるほど、
この鉄塔と電柱と電線は、
オープンセットを絵になるものにするように、
計算されて建てられているな、
なんならカメラアングルを見てから自由に場所を移動して、
絵になる場所に置けるようになってるぞ、
とまで現場を想像する。
ふむ。
これは、
土手の遊水地、ないし駐車場に、玉砂利を敷き、
鉄塔や家を建てたオープンセットであるな。
(ここまで数秒)
他に違和感はあるかな。
建物と地面の境目(接地面)付近も綺麗すぎるかな。
日本は雨が降るから、
地面と建物の境目あたりには、
特に水に強いような構造になるはずだが、
そのまま切り落としたようにストンってなってるのも違和感かな。
普通は雨で汚れたりはげたりくすんだりするはずで、
ポーチ構造にしてるのはそれを目立たせないため?
そういえば雨樋あったっけ?
いやこの雨樋綺麗すぎるでしょ、白の雨樋なんて三日で汚れるわ、
などと思い、
まあ100%オープンセットですな、
と確信を高める。
で、ここまで疑いを確信したうえで、
裏取るか、とググったらこんなのが出てきた。
http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKankoub/Publish_db/1999ozu/japanese/07.html
オープンセットまではビンゴであったが、
ちくしょう、家半分しか作ってないって?
つまり4面のうち、こっちに見える2面しか作ってないんだってよ。
やられた。
「ベンハー」の戦車競技場、半分しか作ってなくて、
カット割で工夫して何周もしてるように見せてるの、
知ってたのに…
「ポンヌフの恋人」のポンヌフ橋、
周りの街まで丸ごとセットで、2面や3面しかないことも、
知ってたのに…
オープンセットが出来た時代が羨ましい。
予算面も勿論あるけれど、
現場には、
その豊かな資金を、「家半分なら倍作れるぞ」
と町を広く作るアイデアや、知恵があった。
それが予算がなくなるにつれて、
どんどん失伝していったような気がするんだよね。
アイデアが小さく小さく分割されていってる。
自分たちで予算管理をして、
スタジオ全員が身内だったころは、
そうした知恵も経験も受け継がれてきたが、
外注外注になると、
「○○の金額でやって下さい」しか伝えられず、
無理と言われたら、
外注先をクビにするか、
クオリティを下げるしかできなくなってしまう。
「え、家半分のセット作れば良いじゃん」
なんて部署を跨いだ豊かな伝承は、
今の現場には受け継がれていない。
ああ、50年くらい生まれる時代間違えたかなあ。
昔のものは価値がないと勘違いする若者が多い。
かつての僕もそうだった。
しかしそれは、
昔にあった価値を読解する力のない、無能の証明なのだ。
家半分かあ。
無能の自覚とともに、人は勉強するのだ。
2022年08月29日
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