2022年09月10日

シナリオは構造か?文体か?

シナリオは構造だ、と僕は圧倒的に思う。
だけど小説は文体だ、なんてことをよく聞く。

なんで小説は構造だ、と言われずに、
シナリオは文体だ、とも言われないのだろう、
と考えてみる。


それは、
映画シナリオは、小説に比べて、
とても短いものだからだ。

文庫一冊程度の小説は、
小説の中では入門編の長さですらあるだろう。

文庫一冊10万字だが、
映画シナリオは120分ギチギチで4万8000字なので、
映画フルセット二本分で、
入門編の長さの小説に相当する。

映画は短いのだ。


とても面白い長い長い話が小説で、
短くてスパッと終わる面白い話が映画である。

短い話にはどんな面白さが必要?
シチュエーション?
キャラクター?
それもあるが、それは部分にすぎず、
全体的にはオチだと思う。

どうオチたか、が最重要だと思う。

オチには何が必要か?
前振りと展開だ。
つまり、構造である。

どのような前振りがあり、
どのような展開があり、
どのようなオチがあるか、だ。

それが新規性があったり、
よくできていれば、面白い話の映画になる。


小説はどうだろう。

長い長い面白い話は、なぜ飽きないのだろう。
それは、そこにいることそのものが面白いからで、
それは構造よりも文体だろう。

長く一緒にいる友達は、
出会いと別れや喧嘩や仲直りみたいな構造がいいからではなく、
一緒にいる空気がいいからいるはずだ。

そんな感じ。

バラエティが楽しくてずるずる長期間見るのも、
構造が面白いからではなく、
空気が心地いいから摂取しているだろう。
その空気感が、
文体に当たると思う。

村上春樹文体みたいな極端なやつを考えればわかるが、
我々はその村上空気を摂取することが目的で、
村上文体を読むわけだ。
モフモフ成分の為に猫を嗅ぐことと、
大体は同じである。

そのときに構造は重要ではなく、
空気の摂取効率のほうが重要であろう。


だから、ノルウェイの森の映画化は失敗した。
空気は映画にはならなかった。
構造がないからである。

いけちゃんとぼくの映画化も、
僕は構造が必要だとして骨格をつくったのだが、
原作にないからという理由と、予算の半減で、
第一稿にあった骨格が破綻したことが、
映画的失敗(内容の瑕疵)の原因だ。
サイバラ漫画の空気感の再現に関しては、
他のサイバラ映画よりは出来てたと思うけど、
構造に関して一つ屋台骨になっていないわけだ。


逆に、映画のノベル化って、
絶対空気感が違うんだよね。
あの空気感のような世界の文体が読みたくても、
読めた試しがない。
監督や脚本家本人が書いたノベルでも、
そうなんだよね。
それは、映画の魅力が構造にあり、
小説ではその良さが出ないからだと思う。


期待されてるところが、
いいところが、
異なるメディアだから、
などと僕は考えている。

だからメディアミックスとか、
○○化は、
よほどでない限りバカのやる手法だ。

近年最も成功したメディア変換は、
アベンジャーズの実写化だが、
それにはアイアンマンの成功があった。
そしてそこには、
いかに構造を面白くするかというシナリオ的な工夫が満載で、
非常に頭の良い人たちの力を感じた。
そこに、新技術であるところのCGがうまく乗れたから、
成功したのだ。

決して、トニースタークの演技が素晴らしいからとか、
CGがよく出来てるからとか、
音楽がワクワクするとかの、
空気(文体)だけでは作れないことに注意されたい。

まず構造ありきがシナリオで、
同じものでヘボシナリオでやらせれば、
良いシナリオがいかに大事かが想像できるだろう。
それは、マーベルシネマティックユニバースの、
ハズレ作品を見れば大体理解できると思う。
漂う空気感は大体同じなのに、
なぜか外れている理由は、シナリオの構造のまずさによるものだ。


映画の魅力はシナリオという強固な構造と、
才能集団による空気文体の作り方の、
二つの魅力のミックスによるものである。
シナリオ単体としては存在しないんだよね。


一方、
構造がぐだぐだでも、
文体だけで小説は押し切ることも不可能ではない。
ラストの一文で決まれば、
うまいことまとめられる可能性すらあるからだ。

「そしてそこには、誰もいなくなった。」
で終われば、大体どんな小説でも文学的になるものだ。

そこにぐいぐいと読ませる文体こそが、
口の上手さ(手の上手さ?)こそが、
小説の味と言えると思う。
長い話が面白い人は、オチよりもその間どれだけ楽しめたか、
どれだけたゆたえたか、だろうね。


で、
結論で言うと、
冒頭の問いへの答えは、
長さが違うから、だ。

身も蓋もなさすぎるのは、
僕が構造重視の人で、
冒頭に対してオチをつけるのは、
僕が構造重視の人だからかね。
posted by おおおかとしひこ at 00:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
劇を書くか語り手の語りを書くのかの違いなんじゃない?
Posted by 匿名希望 at 2022年09月12日 23:49
>匿名希望さん

その通りです。
そして映画脚本というのは、原則語り手がいません。
(ドラマならナレーターがいることもあります)
語り手のいない劇台本が映画脚本ですね。

誰か別次元の人が、かつてあったことを紹介するのではなく、
当事者のリアルタイム体験のみで、
引き込み、展開し、解決して、
まとめなければならないのです。

つまり表面上は文体しか書かれてないのです。
にも関わらず、構造があるべき、という話でした。
Posted by おおおかとしひこ at 2022年09月13日 01:32
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