2022年08月30日

プロットの博物学2

物語要素事典はすでに少しでも見られたであろうか。
これを眺めていると、
ときどきぶっ飛んだプロットに出会うことがある。

なんでやねん、と思わず突っ込みたくなるような。
だが、その「ありえない」ことこそが、
物語の魅力(もしかしたら定義)なのだ。


逆にそのありえないことを、
「この世界ならありえるかもしれない」と、
うまく設定することこそが、
作家たる者のするべきことなのだ。

仮に昭和なんでもありの、
イケイケドンドン時代を設定したとしようか。
昭和を知らない人ならば、
なんでもありなんだろ昭和、
と思って、
セクハラパワハラし放題を描くかもしれない。
それは大体可能だ。
そうだったからね。
でも、「耐えた側に数年後出世という報酬がある」
(世の中は成長続きなのですぐポストがつくれた)
が欠けていると、
止める者のいない地獄絵図になり、
それは嘘の世界ということになるわけだ。

なんでもありだから天皇を暗殺してもOKか?
今より右翼が強いから、
一族郎党右翼の鉄砲玉に皆殺しにあったかもしれない。

なんでもありなのは一方的ではなく、
双方向的なわけだ。

ほんとうのなんでもありならば、
Taroマンみたいな、もっとシュールな世界になるだろうね。



で、
そんなのありえない、という驚きは、
物語の珠玉なんだよね。

マジで驚かせておいて、
それがその世界では説得力をもってありえるんだぜ?
それは物語の魔法そのものではないか。

仮に不敬ながらも、天皇を殺すのがありえる世界だとしよう。
だとしたら、
なぜその犯人はその実行を可能にして、
その後何事もなく逃げおおせたのかを、
ありえる世界設定をしなければならない。

「なるほど、この一手なら、あり得る」
と唸らせるのが物語作家の力だ。
僕は思いつかないのでわからないが、
山上が安倍暗殺をした以上に大変だろうね。
陛下の警備があれほど緩むことはないだろうし。

リアリティのために日本を例に出してるが、
暗殺先をプーチンにしても同様だ。
きゃつは今ウラル山脈に潜伏中だから、
まったくリアリティがわからんけどね。

先日の安倍暗殺事件では、
物語的な偶然の重なりがあった。
それはつまり、
「ありえないを可能にするための、
あり得る世界設定」の構築なんだよね。


プロットは「ありえない」を思いつくこと。
そしてそれがあり得るように、設定を組むこと。
そしてできることは大きな一つの嘘をつくことだけだぜ。


そんなふうにするのは至難の業で、
だから物語とは、針の糸を通すような難しさがある。

件の事典は、その古今東西(古典がメイン)の、
針の穴を通したものの集成なんだよね。



プロットは、ぶっ飛ばなければならない。
そしてそれを、たった一つの大嘘で、
世界設定しなければならない。
それがどのようにはじまり、
どのように展開して、どのように終結するのか、
なぜそうなるのかを書かなければならない。
そしてそれら全体がどのような意味があるのかまで、
プロットの時点で分からなければならない。
そしてそれが催す主な感情(悲しみ、感動、喜び)などが、
プロットだけでビビッドに伝わってこなければならない。

だからプロットとは、物語で最も難しいものなのだ。
初心者においそれと「プロット書いてみ?」
なんて勧められる代物ではないんだよな。
でも最も難しいものは一番練習したものだ、
という考え方があって、
それがプロットなんだよなあ。


なお事典のプロットはプロのそのレベルではなく、
学者の分析上のそれである。
だがぶっ飛び方、あり得なさ加減の、
参考になるぞ。

このぶっ飛んだプロットを、どう着地させるか?
どうやったらこれぐらいぶっ飛べるか?
それくらい勝負の連続だぜ。
posted by おおおかとしひこ at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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