物語要素事典はすでに少しでも見られたであろうか。
これを眺めていると、
ときどきぶっ飛んだプロットに出会うことがある。
なんでやねん、と思わず突っ込みたくなるような。
だが、その「ありえない」ことこそが、
物語の魅力(もしかしたら定義)なのだ。
逆にそのありえないことを、
「この世界ならありえるかもしれない」と、
うまく設定することこそが、
作家たる者のするべきことなのだ。
仮に昭和なんでもありの、
イケイケドンドン時代を設定したとしようか。
昭和を知らない人ならば、
なんでもありなんだろ昭和、
と思って、
セクハラパワハラし放題を描くかもしれない。
それは大体可能だ。
そうだったからね。
でも、「耐えた側に数年後出世という報酬がある」
(世の中は成長続きなのですぐポストがつくれた)
が欠けていると、
止める者のいない地獄絵図になり、
それは嘘の世界ということになるわけだ。
なんでもありだから天皇を暗殺してもOKか?
今より右翼が強いから、
一族郎党右翼の鉄砲玉に皆殺しにあったかもしれない。
なんでもありなのは一方的ではなく、
双方向的なわけだ。
ほんとうのなんでもありならば、
Taroマンみたいな、もっとシュールな世界になるだろうね。
で、
そんなのありえない、という驚きは、
物語の珠玉なんだよね。
マジで驚かせておいて、
それがその世界では説得力をもってありえるんだぜ?
それは物語の魔法そのものではないか。
仮に不敬ながらも、天皇を殺すのがありえる世界だとしよう。
だとしたら、
なぜその犯人はその実行を可能にして、
その後何事もなく逃げおおせたのかを、
ありえる世界設定をしなければならない。
「なるほど、この一手なら、あり得る」
と唸らせるのが物語作家の力だ。
僕は思いつかないのでわからないが、
山上が安倍暗殺をした以上に大変だろうね。
陛下の警備があれほど緩むことはないだろうし。
リアリティのために日本を例に出してるが、
暗殺先をプーチンにしても同様だ。
きゃつは今ウラル山脈に潜伏中だから、
まったくリアリティがわからんけどね。
先日の安倍暗殺事件では、
物語的な偶然の重なりがあった。
それはつまり、
「ありえないを可能にするための、
あり得る世界設定」の構築なんだよね。
プロットは「ありえない」を思いつくこと。
そしてそれがあり得るように、設定を組むこと。
そしてできることは大きな一つの嘘をつくことだけだぜ。
そんなふうにするのは至難の業で、
だから物語とは、針の糸を通すような難しさがある。
件の事典は、その古今東西(古典がメイン)の、
針の穴を通したものの集成なんだよね。
プロットは、ぶっ飛ばなければならない。
そしてそれを、たった一つの大嘘で、
世界設定しなければならない。
それがどのようにはじまり、
どのように展開して、どのように終結するのか、
なぜそうなるのかを書かなければならない。
そしてそれら全体がどのような意味があるのかまで、
プロットの時点で分からなければならない。
そしてそれが催す主な感情(悲しみ、感動、喜び)などが、
プロットだけでビビッドに伝わってこなければならない。
だからプロットとは、物語で最も難しいものなのだ。
初心者においそれと「プロット書いてみ?」
なんて勧められる代物ではないんだよな。
でも最も難しいものは一番練習したものだ、
という考え方があって、
それがプロットなんだよなあ。
なお事典のプロットはプロのそのレベルではなく、
学者の分析上のそれである。
だがぶっ飛び方、あり得なさ加減の、
参考になるぞ。
このぶっ飛んだプロットを、どう着地させるか?
どうやったらこれぐらいぶっ飛べるか?
それくらい勝負の連続だぜ。
2022年08月30日
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