困ったときのTIPSシリーズ。
主人公を、何も考えず走らせてみよ。
あなたのシナリオに足りないものがあったら不自然に見えるだろう。
そうでなければ、わりとそのままでも見れるよ。
そのチェックに使える道具。
主人公が走る。
なんで?
急いでいるから?
すぐにやらないといけないことがあるから?
この二つがないと、主人公は走らない。
つまり、
走って不自然な場面になるならば、
「やるべきことがない」か、
「やるべきことがあったとしても、
すぐにやる必要がないため、だらだらしている」
かのどちらかなのだ。
主人公が走る場面でも不自然でないならば、
動機と目的がはっきりしているということだ。
すぐにやらないといけない、ということでも、
ストーリーに緊迫感がある部分だということ。
何もアクションだけが走る場面ではない。
プレゼンに急いでいる、
彼女の誤解を解こうと追いかけている、
友達に会いに行く、
この事実を伝えなければ、あとで不幸が起こる、
などなど、
走らなければならない場面はいくつもある。
逆に、電話やメールすればいいや、
あとにしとこ、
みたいな場面では走る必要はない。
だけど、要件が緊急であればあるほど、
人は走らなければならない、あるいは、思わず走ってしまう。
そういう緊急性が、物語である。
主人公が走って不自然になるのならば、
あんまり喫緊の事態がないということだ。
だとしたら、
思わず走ってしまうかのように、
危機度を上げることである。
彼女が怒って去って行ったら、
思わず追いかけるが、走るほどじゃないならば、
怒る度合いを上げればいいのだ。
もうあなたとは会わない、くらいにしてもいいし、
軽蔑します、くらいに言わせてもいい。
とにかく、背を向けた彼女に対して、
「ちょまてよ!」と走るくらいでないと、
緊急度合いはないということだ。
つまり観客は「ちょまてよ!」を楽しみにしている。
その危機をつくるのが、
脚本家の仕事といえるだろうね。
「それは明日だな」
という状態で終わってしまったら、
主人公は走らないだろう。
「それは明日の夜明けまでだ」
となったら、主人公は走るだろう。
走るように、締め切りをきつくするのである。
それだけで、ドキドキが生まれる。
走らなければならないのは、つまりは物語特有の何かなのだ。
これは、何重にもかけることが出来る。
主人公が走っていることを誰かが知れば、
同じく走り出すだろう。
味方が知れば、協力に走ってくれるだろう。
敵が知れば、出し抜かれぬように走って処置をするだろう。
怒って去って行った彼女が、走って追いかけてくる主人公を見たら、
さらに加速するに違いない。
そして、みんなが走り出すようにするとよい。
そうすると、物語は加速する。
歩いてなんとかなるようなものは物語としてはゆったりしすぎている。
走らなければならない、そのように枷をつくるとよい。
走れ。走らせろ。
なんのために?どうして歩かないの?
そこがうまく出来ていることが必要条件で、
走るのは結果論だ。
うまく出来ているならば、
こっちが設定しなくても、勝手に走り出すだろう。
ストーリーが走っているときというのは、
つまりは登場人物が、喫緊の課題を抱えて、
互いに急いでいるときだ。
しかも悩んで答えが出ないときではなく、
具体的目的が見えて、そこへ急いでいるときである。
急げ、急げ、急げ。
なんのために急ぐのか。
どうして急ぐのか。
そこが物語である。
つまり、走って不自然な箇所は、
物語性が薄いのだ。
それをチェックするために、
「走らせてみよ」というわけだ。
2022年09月17日
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