大阪人が東京に来て驚くことはいくつもあるが、
そのうちのひとつ。
服は、大阪は派手な色から順番になくなる。
東京は黒から順番になくなると、
聞いたことがある。
大阪人は、個性を尊ぶ。
基本が尖ろうとするのかしらね。
他と同じじゃいやだというのが根底にある。
目立ちたい、俺はオリジナルである、
などと主張したいのがあると思う。
東京人、といっても純粋な東京人は少ないから、
東京に住む人は地方出身者の集合体で、
目立つのは好まないようだ。
引っ込んで、溶け込むことを望んでいるかのようだ。
個性的であることはよいことかもしれないが、
少なくとも服でそれを主張せずに、
見た目だけは溶け込みたいようである。
だから東京の風景は、溶け込もうとしている人たちで占められている。
あるいは、なるべく関わりたくない、という空気が蔓延しているようにも思える。
尖ることはぶつかることで、だから何に対しても責任が生じる。
そのたびにコミュニケーションをとり、
うまく調整する力も求められる。
いかついからいつも喧嘩しているわけではなく、
いかついオッサンも話せば話せるオッサンだったりする。
尖ることは、
会話を拒否しているのではなく、
会話を開くことである。
ところが東京の黒は、会話を拒否しているきらいがあるように思う。
同じ規格に収まろうとしているから、
個性の主張はなく、
機械的なベルトコンベアのようなコミュニケーションを、
尊んでいるかのようだ。
それは自動的で、画一的で、
言い方を変えれば丸い。
どちらが文学的だろうか。
僕は大阪出身なので、
尖らないと意味がない、そしてコミュニケーションしないと意味がない、
と考えている。
東京の、丸くて誰にも迷惑をかけずに、
目立たずにやり過ごしたい、ということとは、
真逆だと考えている。
東京は黒から順番に売り切れる。
僕はいつも派手な色を買いたい。
調色できるなら、自分で決めたいくらいだ。
あなたは何色か?
そしてあなたのチームは何色か?
すでにあるチームがその色しか出ない場合、
そのチームとやるべきか?
あなた自身の色で染められるだろうか?
僕は、これはこの色、と決めることが表現であり、
芸術であると考えている。
一方商売は、とくに最近の炎上を恐れる商売は、
黒であることが一番と考えているようだ。
尖るべきファッションですら、
黒から売れていく世界は、
僕には目が死んでいるディストピアに見えるけどね。
黒は、何と混ぜても黒になる。
その黒を押し返すほどの、色の洪水を持て。
2022年09月18日
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