2022年09月18日

人気色は黒

大阪人が東京に来て驚くことはいくつもあるが、
そのうちのひとつ。

服は、大阪は派手な色から順番になくなる。
東京は黒から順番になくなると、
聞いたことがある。


大阪人は、個性を尊ぶ。
基本が尖ろうとするのかしらね。
他と同じじゃいやだというのが根底にある。
目立ちたい、俺はオリジナルである、
などと主張したいのがあると思う。

東京人、といっても純粋な東京人は少ないから、
東京に住む人は地方出身者の集合体で、
目立つのは好まないようだ。
引っ込んで、溶け込むことを望んでいるかのようだ。
個性的であることはよいことかもしれないが、
少なくとも服でそれを主張せずに、
見た目だけは溶け込みたいようである。

だから東京の風景は、溶け込もうとしている人たちで占められている。
あるいは、なるべく関わりたくない、という空気が蔓延しているようにも思える。

尖ることはぶつかることで、だから何に対しても責任が生じる。
そのたびにコミュニケーションをとり、
うまく調整する力も求められる。
いかついからいつも喧嘩しているわけではなく、
いかついオッサンも話せば話せるオッサンだったりする。
尖ることは、
会話を拒否しているのではなく、
会話を開くことである。

ところが東京の黒は、会話を拒否しているきらいがあるように思う。
同じ規格に収まろうとしているから、
個性の主張はなく、
機械的なベルトコンベアのようなコミュニケーションを、
尊んでいるかのようだ。
それは自動的で、画一的で、
言い方を変えれば丸い。


どちらが文学的だろうか。
僕は大阪出身なので、
尖らないと意味がない、そしてコミュニケーションしないと意味がない、
と考えている。
東京の、丸くて誰にも迷惑をかけずに、
目立たずにやり過ごしたい、ということとは、
真逆だと考えている。

東京は黒から順番に売り切れる。
僕はいつも派手な色を買いたい。
調色できるなら、自分で決めたいくらいだ。


あなたは何色か?
そしてあなたのチームは何色か?

すでにあるチームがその色しか出ない場合、
そのチームとやるべきか?
あなた自身の色で染められるだろうか?

僕は、これはこの色、と決めることが表現であり、
芸術であると考えている。
一方商売は、とくに最近の炎上を恐れる商売は、
黒であることが一番と考えているようだ。
尖るべきファッションですら、
黒から売れていく世界は、
僕には目が死んでいるディストピアに見えるけどね。

黒は、何と混ぜても黒になる。
その黒を押し返すほどの、色の洪水を持て。
posted by おおおかとしひこ at 01:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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