「一回だけ最速が出ればOK」なわけではないから。
タイピングのスピード競争って、
「何万回失敗してもいいから、
たった一回記録出せばいい」
の世界のように思う。
勿論対人競技とか大会は一発勝負だけど、
記録を狙うときは、
たった一回出せればいいわけで、
ワード運待ちの面もあるそうだ。
まあゲーム攻略としては正しいのかも知れないが、
それってタイピングの本来の目的、
「普段使い」とは遠い気がするんだよね。
字は毎日書くものだ。
職業作家なら一日数千字はマストだろう。
原稿だけでなく連絡系やメモ系も含めれば、
もっと多いかもね。
そうした日々のことを、
僕は楽にしたいので、
毎日省力できてないと意味がないと思うんだよね。
誕生日だけ豪華なレストランに行くのではなく、
毎日うまい飯をちゃんと食べたい感じ。
qwertyはまずい飯だ。これでは働けるものも働けない。
毎日のことだから、
文章の出来も色々あるし、
手の調子も色々あるだろう。
タイピングを間違えたり、文章自体を間違えることもあるだろう。
その日常を、そのまま見せたいんだよね。
それで薙刀式は有効だとね。
デートしかおしゃれしないのではなくて、
普段から行けてますよみたいな感じ。
新配列の動画は、
なぜか一本から数本で、
途絶えてしまう。
それが奇跡の一本である疑いを、払拭できない。
山ほど撮って、一番速いやつだけアップしてんじゃないの?
って疑いに対して、反論できないと思う。
薙刀式の動画は毎度一発撮りで、
なんか思いついたら撮ってる、日記のようなものだ。
遅いやつもあれば調子が良かった日もある。
それでもトータルでいい感じじゃない?
と思える証拠を出している感じ。
スピードの記録競争とは、
だからベクトルが逆な気がする。
たった一回だけ名文を書けばいいわけじゃないからね。
平均的にいいものにしなきゃいけない。
いわば、
新配列の目的は、
一生いい目に遭うことだ。
それを示したい。
2022年09月06日
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