今テストしているB103で、面白い現象が起こったので、
記録しておく。
「さ」「せ」「ふ」あたりを、もとのものから動かしているのだが、
普段脳内発声がない僕が、動かしたカナだけ脳内発声で確認しているっぽい。
カナ単独では発声しない程度には慣れてきたが、
たとえば「はっせい」という言葉を打とうとするとき、
「っせ」とか、「せい」あたりを脳内で言っているっぽい。
つながりの部分、前後を打とうとしているときにとくにあるっぽい。
今も、「ぜんご」がうまく打てなくて、
脳内で指差し確認のようにして、
脳内発声があった。
指差し確認という考え方が一番しっくりくるな。
声に出して確認しているんだな。
これは、配列を学ぶときの現象なのだろうか。
最初は指差し確認しながら、
脳内ばかりでなく、
実際に声に出してカナの位置を覚えてもいいのかもしれないね。
そのうち、自動化している部分に関しては、
声を出さなくてもよくなり、
しだいに静かになっていくのかもしれない。
たとえば「ふ」に関しては、
部分とか、文章とか、一分とか、
そういうものに関してはもう脳内発声がないのだが、
ふいに、とか、不明、とかは、
まだ脳内発声があるっぽい。
だから、一文字単位ではなくて、
前後も込みで、覚えていくんだろうね。
脳内のネットワークの構造と、
おそらく似ているのではないかと想像する。
言葉の学習と相似形のような気がする。
今ある無意識化されたシステムに、
指差し確認しながら外挿して、
そのうちなじんできたら無言になる。
そういう無意識化のプロセスを、
今経験している感じだ。
これは学習全般に言えることなのかしらね。
非常に興味深いものだ。
僕はローマ字全般で、脳内発声があり、
それがすごく思考の邪魔をしていた。
カナ配列を使ったときにはじめて脳内発声が収まり、
だからカナ配列を使っている。
何で脳内発声があるかないかは、
人によっても異なるかもしれない。
あるいは、脳内発声がある状態でしか、
思考出来ない人もいるかもしれない。
脳内発声があるとか、ないとか、
人によるのかとか、恒久的なものなのか、とか、
効果的な学習方法は違うのかとか、
分かっていないことが多いだろうが、
一例として記録しておく。
あと、一回脳内発声がはじまると、
ずっとあるまま書いたりするね。
いつでも指差し確認できるように、
脳がアイドリングの準備状態に入るのだろうか。
これもいまうっすら脳内発声がある状態で書いている。
あと、外来語やカタカナ語のときは、
結構な確率で脳内発声がある。
日本語とは本来違う、音写のみで意味が発生しないからだろうか。
2022年09月06日
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