2022年09月06日

【薙刀式】動かした文字のところだけ脳内発声がある

今テストしているB103で、面白い現象が起こったので、
記録しておく。
「さ」「せ」「ふ」あたりを、もとのものから動かしているのだが、
普段脳内発声がない僕が、動かしたカナだけ脳内発声で確認しているっぽい。


カナ単独では発声しない程度には慣れてきたが、
たとえば「はっせい」という言葉を打とうとするとき、
「っせ」とか、「せい」あたりを脳内で言っているっぽい。
つながりの部分、前後を打とうとしているときにとくにあるっぽい。
今も、「ぜんご」がうまく打てなくて、
脳内で指差し確認のようにして、
脳内発声があった。

指差し確認という考え方が一番しっくりくるな。
声に出して確認しているんだな。


これは、配列を学ぶときの現象なのだろうか。
最初は指差し確認しながら、
脳内ばかりでなく、
実際に声に出してカナの位置を覚えてもいいのかもしれないね。
そのうち、自動化している部分に関しては、
声を出さなくてもよくなり、
しだいに静かになっていくのかもしれない。

たとえば「ふ」に関しては、
部分とか、文章とか、一分とか、
そういうものに関してはもう脳内発声がないのだが、
ふいに、とか、不明、とかは、
まだ脳内発声があるっぽい。
だから、一文字単位ではなくて、
前後も込みで、覚えていくんだろうね。

脳内のネットワークの構造と、
おそらく似ているのではないかと想像する。
言葉の学習と相似形のような気がする。


今ある無意識化されたシステムに、
指差し確認しながら外挿して、
そのうちなじんできたら無言になる。
そういう無意識化のプロセスを、
今経験している感じだ。

これは学習全般に言えることなのかしらね。
非常に興味深いものだ。

僕はローマ字全般で、脳内発声があり、
それがすごく思考の邪魔をしていた。
カナ配列を使ったときにはじめて脳内発声が収まり、
だからカナ配列を使っている。
何で脳内発声があるかないかは、
人によっても異なるかもしれない。
あるいは、脳内発声がある状態でしか、
思考出来ない人もいるかもしれない。

脳内発声があるとか、ないとか、
人によるのかとか、恒久的なものなのか、とか、
効果的な学習方法は違うのかとか、
分かっていないことが多いだろうが、
一例として記録しておく。

あと、一回脳内発声がはじまると、
ずっとあるまま書いたりするね。
いつでも指差し確認できるように、
脳がアイドリングの準備状態に入るのだろうか。
これもいまうっすら脳内発声がある状態で書いている。

あと、外来語やカタカナ語のときは、
結構な確率で脳内発声がある。
日本語とは本来違う、音写のみで意味が発生しないからだろうか。
posted by おおおかとしひこ at 10:39| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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