2022年09月23日

「シナリオが書ける」とはどういうことだろう

面白いか面白くないかは才能の問題として、
技能としての「シナリオが書ける」とは、
どのレベルのことかを考える。


つまり、運転免許みたいな、
最低限の技能はなにか、ということだ。


僕は以下だと思う。

・事件が書ける。
・展開が書ける。
・解決が書けて、全体に落ちがつけられる。

たったこの三つだ。

面白いシチュエーションが書けるとか、
面白いキャラクターが書けるとか、
セリフがうまいとか、
共感できるとかは、
才能の問題であり、
シナリオの技能とは関係がない。
(もっとも、ある程度技術で補うことはできるよ)

シナリオの、根本的な技能とは、
この三つじゃないかなと僕は思う。

この三つを揃えられない人は、
シナリオを書く技能がない、と言って良い。
運転免許にたとえれば、
事故を起こしたり、目的地にたどり着けなかったりするだろう。


パートの解説はこれまでにしてきてるから、
詳しくは解説しない。

出来不出来はおいといて、
まず客観的にこれらを揃えられるか、
がシナリオライターの技能じゃないかな。


メアリースーに取り憑かれてるかとか、
これで有名になったろとか、
承認欲求の為に書いてるとかは、
心持ちの問題として問わないことにしよう。

客観的に必要なものだけを書く。

事件、展開、結末かつ落ち。

これだけできればシナリオライター。
ひとつでも出来なければ、
シナリオライターの入り口に立っていない。


多くのシナリオ志望者は、
事件と展開の最初までは書けるだろうが、
展開の中盤や後半が書けない。

短編ならば中盤をある程度短くできるが、
こんどは結末が書けず、
書けたとしても落ちていないことがとても多く、
そもそもその落ちにするくらいなら、
その最初からのいらなくない?
ってことがとても多い。

全部きちんと揃えられる人は、
それだけで入り口に立っている。
あとは才能だ。


どんなに面白そうなキャラやシーンやどんでん返しを思いついても、
まだシナリオが書けたわけではない。
事件と展開と結末と落ちの、
一つでも欠けていたら、
それは書いたことにはなっていない。
posted by おおおかとしひこ at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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