Twitterから。
> 添削をしてると、感性が昭和な人がいる。作者さんは30歳ぐらいなのに、主人公の考え方が70代のおじいさんのよう。けっこう多くて謎だった。ようやく理由がわかった。キンドルアンリミティッドの利用者だった。古い小説が収録されているので、それを読んで古いセンスを身につけてしまうらしい(続く
https://twitter.com/Wakatuki_Hikaru/status/1568187797147877381?s=20&t=JcnDd6vqIP8VnibLcHdLeQ
「感性」なんていう曖昧な言葉は解像度が低すぎる。
もっとちゃんと考えよう。
人は学習する生き物である。
だから沢山見たものを、一番にアウトプットする。
過去の名作を沢山見れば、
その構造的なしっかりした部分を学習するだけでなく、
「古い考え方、古い生活様式、古い言葉遣い」
などもついでに学習してしまうわけだ。
人工知能では過学習などという。
目的に対していらんところまで学習してしまったタイプのやつ。
でもこれは僕に言わせれば、
少なくとも人間に関しては、
まだ学習が足りてないだけの話だ。
すなわち、
学習した古いものを、
「今この時代に放つとしたら」
を考えていないということである。
それには二つ必要である。
一つ目は、
古いものを古いと感じる力、
現代のものはこうだと感じる力、
そしてその二つの差異を知り、
区別できる力。
二つ目は、
その古いものを更新したり、
いらないところを切除したり、
いいところは切除しなかったり、
それを現代に出すとしたら、
どうアレンジすると受け入れられやすいかをコントロールする力だ。
ざっくり言えば一つ目は目(認識力)、
二つ目は手(アウトプットの力)だね。
この古くさいものしか書けなかった人は、
目も手も足りてないだけなんだよね。
感性が古いから、ではないのだ。
孤島に住んで世間と付き合いを絶ってるなら、
分からないでもない。
コロナ禍で人に会ってない可能性もなくもない。
だが、
もっと目と手を鍛えないと、
せっかく学習した古典は、
何にも生かせていない無駄になるだろうね。
つまり、
自家薬籠中のものにまだなってないだけ。
学習したものに振り回されているだけなのさ。
取材に似ている。
取材した情報量があまりに大きく、
物語そのものの面白さよりも、
取材したことに忠実かどうかがチェックポイントになってしまうやつ。
これは取材に振り回されていて、
物語の手綱を握っていない状態だ。
僕はこの人には「感性が古いから現代的な感性を磨け」
とアドバイスはしない。
それは何が古くて何が新しいか分からない人には不安しか与えない。
もっと客観的になり、
自分の外から自分のやってることをみれる目と、
それをどうやったら世間と接続できるかを、
つなげられる手をつくりなさい、
とアドバイスすると思う。
現代がもっとも素晴らしいわけではない。
今この現代も30年も経てば古臭くなる。
その時代の変化を冷静にみて、
どれも手で表現できるようになり、
その表層の現代と、
いつの時代も変わらぬ人間の本質を、
区別して融合できることが、
物語作家にもとめられていることだ。
2022年09月11日
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