これも相対的な見方の訓練なんだけど。
「なぜその人はそれを信じているか」
を、他人に対して明らかにできるだろうか?
たとえば。
「努力したものはいつか報われる」
という、
正解とも間違いともいえないことを、
その登場人物は信じている、
としよう。
特にこれ自体は目新しいことはないため、
仮にそう設定して、
その通りに登場人物が行動したとしても、
「まあそうか、それは普通だな」
と思うに違いない。
これは、多くの人がそう信じていること
(最近はそうでもないかもだが)、
または「そう信じたいこと」のときはこうなる。
ところが、
多くの人が信じてない信念があるとしよう。
「努力なんて無駄。人生運のみ」
としようか。
これを信じているAが登場したら、
我々は違和感を感じるだろう。
なぜその人がそのように思うようになったんだろう?
そんな人がいて、周りは不快に思わないのか?
退けたりしないのだろうか?
つまり、多数の人が信じていないものを、
信じている人が、
「そこに実在しているように感じない」
という現象が起こるのだ。
我々作家はそれを敏感に察知しなければならない。
「その人がそれを信じるに至った理由」とか、
「経緯」を用意して、
「ああ、そういう事情ならそうなるのもやむを得ないかもしれないなあ」
と観客の気持ちを誘導する必要がある。
悪役にたいてい悲劇的な過去があり、
どこかで明かされるのはこれが理由だ。
つまり、
異端や異常は、それがそこまで成長した存在理由のようなものを、
我々は無意識に求めてしまうということだ。
簡単な例でやってみたが、
極端な例で考えよう。
統一教会の信念にしてみようぜ。
その信念を持つ人物が、あなたのストーリーに出てくる。
「日本は韓国の奴隷であり、
すべての金を韓国に貢ぐ必要がある。
日本の女は韓国の素晴らしい男のための奴隷であり、
強制的に結婚しても良い」
と考えているとしようか。
だとしたら、
「なんでそんなことを考えるようになったの?」
が必要だと思うんだよね。
「ああ、こんな狂信者は話し合っても無駄だ、
殺すしかない」になるならば、
それは人間ドラマではない。
もしその人とこれから暮らしていくことになったとしたら、
危害は加えてこない限りは罪ではない。
だけどなんだか気持ち悪いよね。
だから、
「なぜそこに至ったのだろう」を解明してあげるんだよね。
二世だから洗脳されていた、でもいいし、
ものすごく辛い時に統一教会が助けてくれたから、
でもいいんだよ。
「ああ、そういうことならわかる」
があればいい。
それを用意するのが、物語作家の仕事である。
さて、最初に書いた、
「努力は報われる」を信じている人はどうだろう?
デフォルトみたいなことだから、
いらないかな?
僕は、「そこに至る理由」があったほうが、
話が面白くなると考えている。
つまり、「なぜ努力は報われると思うようになったのか?」
だ。
かつて小さな努力が報われたことがある、でもいいし、
一度も報われたことがないため、
この努力が水泡だと思いたくないから、でもいい。
そのドラマを用意してあげると、
急にその人が一人の人間であるような気がするよね。
つまり、
特に「努力は報われる」と思っているだけのキャラクターは、
一般大衆でしかないんだよね。
それが一人の登場人物としてたってくるには、
そのような経緯を持っていればいいというわけ。
仮に「年寄りには親切にしよう」と考えているキャラクターだとしても、
彫りこむことはできるよ。
年老いた母親を老人ホームにぶちこんだことを後悔してる、
とかね。
そのエピソードがあれば、
年老いた人を忌避せずに親切にすることは、
罪滅ぼしだと理解できるから、
そのキャラクターが一層理解できるようになるよね。
それはもはや実在の人物のように思えてくるわけだ。
そのキャラクターの信念を創作することは、
とても良いことだ。
怒りっぽいとか親切みたいな性格設定よりも、
よほどそのキャラクターの行動や考え方を支配するだろう。
ただそれを与えた、だけでは片手落ちなんだよ。
なんでそう思うようになったのか、が大事なんだよね。
それを上手に設定すれば感情移入が進むし、
それを上手に設定する腕は、人生経験や人間観察から生み出されるだろう。
平凡でもいい。特別でもいい。
異端でもいい。メジャーでもいい。
なぜその人はそのように思うようになったんだ?
それを作ろう。
なお、
ある登場人物がなにかをやり、
その後自分語りで過去を話すのは、
つまらないやり方だよな。
もっと上手に観客が「なるほど」と思えるやり方を、探そう。
まあうまくいかないなら、
「実はこんなことがあってな…」みたいなベタでもいいよ。
ないよりはあった方がいい。
2022年09月27日
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