薙刀式は、
ウ段カナが右手に「ぬ」以外来ていることで、
動詞は「死ぬ」を除いて右手で終止形をつくる。
右でとどめ、という左右交互打鍵的な考え方だし、
薙刀の術理にもあっている。
ところで、「本質的な動詞」がオール右手で打てる、
という現象がある。
具体例を挙げると。
ある いる いう 思う 考える
やる いく くる する
歩く 会う 出す 歌う 愛する
去る 泣く 笑う もらう 与える
座る 立つ
なんとなくだけど、人生の本質のようなものが、
右手だけに集中しているような気がする。
「本質的な動詞」ってなんだよ、
って感じでもあるけど、
なんとなくでいえば異論はあるまい。
こんな感じの打鍵感が、薙刀式をより「言葉を書いている」
という感覚を強くするのではないかと思っている。
他の「本質的な動詞」ってなんだろ。
適当にピックアップしてみると。
聞く 見る 走る
使う 確かめる 踊る ためらう 死ぬ のぞく
とる 話す 近づく 離れる
ううむ。これらは左右交互的であった。
ただし、「死ぬ」(一説には「ぬ」で終わる動詞は「死ぬ」しかない)
を除いて終止形は右手終わりなので、
左→右の感覚になるわけ。
この速く動詞を打てる感覚が、
薙刀式が「文章を書く」ことに向いている根拠だと思う。
話を進めるのは動詞だからね。
そのときに書きやすい手の流れになっているわけだ。
こんな風に言葉を打っていくことを考えた配列は、
今のところなかったように思う。
極論、品詞別に薙刀式は左右の役割を変えている。
動詞 右手終わりで、左右、右アルペジオを使う
助詞 ほぼ左手
活用語尾 ほぼ右手
漢字 左→右が多い
漢字の二文字目には、いうんきくちつっの8文字
しか来ないが、そのうちきちっ以外の5文字は右手。
特に拗音漢字は、
左右同時から右のアルペジオに統一
みたいな感じか。
このような左右の使い分けがあることで、
なんとなく手の流れと言葉の流れが一致している感覚がつくられると思っている。
完全に右利きのことしか考えてなくてすいません。
まあ薙刀は左右逆の使い方はないので、
日本武道的ともいえる?
(左利きの人だと、左右反転したほうが使いやすいのか、
それともまんまでも使いやすいのかは不明)
2022年09月10日
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