2022年09月30日

「何を切る?」は「何を残す?」と同じこと

編集という行為がある。
撮影したものを切り貼って一つの時間的体験にすることだけでなく、
その設計図であるところのシナリオでも、
とくにリライト段階でさかんに行われる。

さて、そのときに「切る」という行為でつい考えてしまう。
実際は、「残す」という考え方でやるといいよ、
という話。


「切る」という動詞がよくないのだと思う。
よくないところを切除するようなイメージかな。
そうじゃないんだよね。

リストラと一緒だと思う。
よくないところを切って、
残った者たちでよくなるか、ということ。
そうじゃなくて、
誰を残して、どう機能させるか、
考えたうえで、最小限のメンバーを残す、
というつもりのリストラでないと、
正しいリストラにならない。

「切る」という意識だと、
切られた人ごめんね、と、切られた者、死んだ者に、
意識が向いてしまう。
そうではない。
「残す」という意識だと、
「残ったメンバーが、どのように機能するのか」
という視点で考えられるようになる。

チームのレギュラーを考えるときと同じかな。
スタメンを何人にするか、
そのスタメンで機能するには、
ということと同じだと思う。
もちろん、
スタメンがダメだったときの控えは準備したほうがよいかもしれず、
それってさっき切ったところだったりするわけで。
(切ったものは永遠に消してしまうのではなくて、
一時的なゴミ箱に入れておいたほうがいい。
全部終わったあと、
忘れていたものをサルベージすることも、
よくあることだからね)


残そう。
残ったやつらで頑張るんだ。
残ったやつらで、構成するんだ。
残ったやつらが、ストーリーのすべてで、
残っていないものはなかったことだ。
今あるものがすべてで、
すべてをどう構成するかを考えるには、
切るんじゃなくて、
どれとどれを残して、
それをどう構成するかを考えるべきだ。

「これはいるかいらないか」ではなくて、
「いるものだけの最小セット」をまず頭の中で考え、
それに応じて各部署を整理するとよい。
posted by おおおかとしひこ at 03:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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